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マタイ伝第1章18〜25節「受け入れ難いことを受け入れる」

12月10日の尾久キリスト教会における広瀬邦彦先生の説教。題材はマタイ伝第1章18〜25節、テーマは「受け入れ難いことを受け入れる」。結婚前のマリヤの処女受胎を描いた本節。婚約者であるヨセフは、身に覚えのない事態に悩み苦しむ。当時は女性の姦通は死刑に値する。しかしヨセフは婚約解消によって、マリヤを救命しようとする。ところが夢に天使が訪れて、マリヤが孕った子供は精霊によるものであり、憂いなくマリヤを娶るように告げる。眠りから覚めたヨセフは、天使のお告げに従い、マリヤと結婚してイエスの誕生を受け入れる。ヨセフはイエスの生みの親ではないが、育ての親となる。イエス誕生後にヨセフとマリヤは大変な受難に遭う。イエスの誕生は、ヨセフの受容あってのことであった。

アメリカの神学者ラインホルド・ニーバーによる「平安の祈り」では「神よ 変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、識別する知恵を与えたまえ」と述べている。


 カトリック司祭のヘンリ・J.M.ナウウェンの著書「いまここに生きる」によれば「二人の人が同じ事故の犠牲になる。一方の人はそのことを恨み、もう一方の人はそのことに感謝の心を持つ。ある人は恨みがましくなり、もう一人は喜びに満ちる。恨んだ人の人生が、より厳しかったということではない。その人の内面が異なったのです」。


 過去は変えられない。しかし過去をどう見るかは変えられる。それは自分次第である。受け入れることによって、平安は得られる。

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