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ルカ福音書「光の子」

尾久キリスト教会での説教で取り上げられた「ルカによる福音書」第16章冒頭は、まことに不可解。罪を犯した管理人をイエスが称賛?! 8節で、管理人の主人は「不正な家令の利口なやり方を褒めた」と記述。窮地を諦めず、懸命の巻き返しを図った管理人を評価。目的が良ければ手段は問わないという意味か。教会で質疑すると「光の子」とはイエスの弟子を指すとのこと。聖書の理解も難しい。2018年
【ルカによる福音書16章1節〜13節】
イエスは弟子たちに言われた。ある金持のところにひとりの家令がいたが、彼は主人の財産を浪費していると、告げ口をする者があった。主人は彼を呼んで言った。「あなたについて聞いていることがあるが、あれはどうなのか。あなたの会計報告を出しなさい。もう家令をさせて置くわけにはいかないから」。家令は心の中で思った。『どうしようか。主人がわたしの職を取り上げようとしている。土を掘るには力がないし、物ごいするのは恥ずかしい。そうだ、わかった。こうしておけば、職をやめさせられる場合、人々がわたしをその家に迎えてくれるだろう』。それから彼は、主人の負債者をひとりびとり呼び出して、初めの人に「あなたは、わたしの主人にどれだけ負債がありますか」と尋ねると「油百樽です」と答えた。そこで家令が言った。「ここにあなたの証書がある。すぐそこにすわって、五十樽と書き換えなさい」。次にもうひとりに「あなたの負債はどれだけですか」と尋ねると「麦百石です」と答えた。これに対して「ここに、あなたの証書があるが、八十石と書き換えなさい」。ところが主人は、この不正な家令の利口なやり方をほめた。この世の子らはその時代に対しては、光の子らよりも利口である。あなたがたに言うが、不正の富を用いてでも、自分のために友だちをつくるがよい。そうすれば富が無くなった場合、あなたがたを永遠のすまいに迎えてくれるであろう。小事に忠実な人は、大事にも忠実である。そして、小事に不忠実な人は大事にも不忠実である。あなたがたが不正の富について忠実でなかったら、だれが真の富を任せるだろうか。もしほかの人のものについて忠実でなかったら、だれがあなたがたのものを与えてくれようか。どの僕(しもべ)でも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない。

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