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高橋武夫先生、伝道生活60年と引退

尾久キリスト教会の高橋武夫先生はこの3月末を以って80歳で引退される。今後は奥さまの高橋ひろ子先生が主任牧師を務めるが、説教壇には高橋武夫先生が継続して立たれる。この日は礼拝後に高橋武夫先生に感謝の花束が贈呈された。伝道60年、尾久キリスト教会では8年である。
 高橋武夫先生は27歳の時に、日本ホーリネス協会の教会が一軒もない岩手県「盛岡伝道教会」に志願して赴任した。当時は宣伝会社で働きながらの伝道だった。パイプ椅子を12〜13脚集めたものの、人は来ない。逆に宣伝会社の仕事は順調で主任→係長→部長と出世した。小佐野賢治の流れを組む会社で、ここで多くの取引先のトップと会い、世の中の裏表を見た。本部から日本ホーリネス協会の偉い先生が視察に来た際は、当時勤めていた宣伝会社の所長に従業員のサクラ出演を頼みに行ったものだ。しかし結局4年、個人プレーでは無理だと悟った。まさに「ローマ人への手紙」第8章26〜30節の「失敗を含めて万事益となす」である。この時期に銭湯から讃美歌が聞こえた。歌っていたのは岩手大学の学生さんだった。彼の下宿に遊ぶに行ったら、そこには「大塚久雄著作集」が置いてあった。大塚久雄先生は東大社会学の先生で、日本にマックス・ウェーバーを紹介した人である。無教会のクリスチャンであった。この本は自分には大変参考になり、その後の人生に大いに役立った。岩手県での4年間は社会勉強の実践期間だった。渡辺善太先生によれば「人間の過去は直せないが、キリストを信じることで過去をもう一回踏み直すことができる」と。旧約聖書でカナンの地からイスラエルに戻ること、新約聖書でヘロデ王が死んで、キリストを抱いて帰国するヨセフとマリヤこそ、その復活に当たる。
 盛岡にいた次に上野→伊東→鬼界ヶ島→旗の台→柵原→川越→尾久と赴任した。最後となった尾久は教会としては小さかったが、生まれ故郷だった浅草に近かったので選んだが、良い教会だった。尾久に赴任してから三多摩地区聖書学セミナーで、講師に柏崎聖書学院の中村敏学院長が立った。そのお話の中で「自分が盛岡にいた頃、後に鬼界ヶ島に行った若い牧師がいた」と出てきた。講演後に話してみたら、中村敏学院長は盛岡の銭湯で出会った岩手大の学生であった。

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