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「普通」の生き方ってどうなの?

小学校、中学校、高校のあと
最近は多くが大学に進学して
就活をして会社に入って
転職するならして
30前後で結婚して
子供を産むかどうか
そして文句を言いながら定年まで

この「普通」、どうなの?
それに疑問を持たないように
洗脳を続けた結果、無気力な日本人が大量発生している

気付かれたら都合が悪い人がいるのだ
税金を源泉徴収できなくなるから?
会社で経営陣がしたいように働かせることができなくなるから?
気付かれたら都合が悪いのだ
適当に泳がせて、搾取したいのだ

給料明細の見方なんて説明してしまったら
異常に高い健康保険料に気付いてしまうからしない
いい大学に入っていい会社に入りなさいと
言い続けた方が
この子には何が向いてるんだろうなんて
考えなくて良いから楽だ
大学も高校も、生徒数を集めたいから
薔薇色の未来が待っているように語るのだ
そうして権力やお金を持つ者たちが
「持たざる者」に対して洗脳をし続ける
みんな「普通」で良いのだと

日本人は「普通」でいたいという謎の民族である
目立つことを嫌い、みんなと同じが良いという思考だ
そんな民族になってしまったのは
「和をもって尊し」の精神のせいなのか?

いや違う。
戦後のGHQによる統治で、
日本人を「アホ」にしようとした結果だ

それが普通でしょ、と思っている
学校で行われてきたことを
少し考えてみればその矛盾に気づくのだ

例えば、体育座り
関西では三角座りと呼ぶ座り方
この座り方は体に良くない
なのに、足を崩して座っているとだらしがないと注意される

しかし、この座り方、元々は奴隷の座り方である
体育座りならば
手足を拘束するのも簡単
立ち上がりにくい
背中は猫背で
どうしても首だけあげることになる
前で立つ先生は
生徒たちを見下す形になる
無意識のうちに押さえつけている
でも、習慣とは恐ろしいもので
その様式で長年育つと
それが当たり前になり、「普通」になり
そうでないとだらしないと認識してしまうのだ

これは一例だが、
こういったものは学校教育の中に散見される

そして少しでもはみ出したら
教師からも怒られるわけだ

いい大学、いい会社こそ素晴らしいという理論
ここから一度外れると
色々とおかしいことに気づく

「普通」ってどうなのよ。
それを疑問に持ち出すと
生きづらくしている大人が不思議にうつる
挑戦すればいいじゃんというと
なんだかんだ理由をつけてくる

そりゃそうだ
理由もなく、説明もなく
それが「普通」で、普通こそ素晴らしいと
学校や社会に洗脳されてきているのだから

確かに秩序を維持するために
必要なルールもある
だけど、理由を説明せずに押し付けるのは違うし
せめて、どうしてこのルールがあるのかを考える機会は与えるべきだ
その習慣がやがて
「普通」の生き方ってどうなの?、という疑問を産み
変化を起こそうとするモチベーションにつながる

理由を考えさせ、本人が納得するのには時間がかかる
しかし皮肉なことに、子供の方が良い理由を考えられ
ある程度オトナになった人たちは
めんどくさいと言い出したり、考える方法がわからなかったりして
苦しい思いをする
最悪の場合は
その場にあった「空気の読める」回答で逃げようとする

日本の教育を全て否定するつもりは毛頭ないが
せめて「普通」に疑問を持てるくらいの
純粋な心を残すような働きかけをしてほしいと願うばかりだ

「普通」の生き方って、どうなのよ。

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