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大人が学ばない国に未来なんてない。

今の日本を生きていて思う。
リカレント教育に対する理解がなさすぎる。
受け入れ態勢が整っていないとも言える。
勉強は苦行で、ようやく「乗り越えたもの」だと思っている人が大半だ。
そして、そんな国に未来なんてない。

「もっと勉強すればよかった」という大人

脱サラして大学院に行き始めた頃、
「もっと勉強すればよかった」という大人に対して
「じゃあ今からでもすればいいじゃん」と言ったら
色々と言い訳が返ってきた。
要約すると、「今はやりたくない」

日本の子育て、親のコストがかかりすぎ問題

日本で生まれ育った私にとって
海外の子育て事情は新鮮だ。
幸い、いろんなところで子育てをする友人がいたり
オンラインサロンなどで情報をもらったりする機会があるが
その度に目からウロコが落ちまくる。

例えば保育園。
日本では、お昼寝用の布団カバー、手提げ袋、エプロン等
親が用意するのが通例だろう。
規格や決まりごとが園によって違うので手で作るしかない。
ばーば(実母や義母)に頼める人はまだいいが
そうでない場合、最近はCreemaなどを利用する人が多いそう。
これに対し、海外では手ぶらが当たり前。
そのことについてある人が、
「親が忙しいから預けるんだから、親の手間を増やしてどうするの?」
と言っていた。
ごもっともである。

仮に厳しい競争を経て希望の保育園に入園できても、
親の手間はいつまでも発生する。
小学校以上でも、親が登場する回数が多い。
(フィンランドでは、地域にもよるが保護者会はないそうだ)

おむつを持ち帰らせるなんて言語道断極まりない。
しかし、日本ではそれが当たり前。
これでは確かに、親が勉強する暇なんてないのかも。

仕事が忙しすぎ問題

お次は仕事だ。
最近YouTubeでネタになっていたが、
メールを打つのも一苦労の日本。
私は前職でメールの宛名の順番は序列通りに、と言われた。
同じ地位の場合は入社年度を確認する。
いやいや、めんどくさすぎる。
(しかしそれが染み付いてしまい、今でもメールするときはやってしまう)

無駄が多い無駄が多い、と言いながら
全然謎の風習が減らない日本。
ちなみに大学でもあまり状況は変わらない、むしろひどい。
一方で先鋭的な先生も一部にいらっしゃるので
学生サイドからするとデスクトップアプリばっかり増える(笑)

仕事が忙しいというよりは、
単純に興味がないのにやらないといけない作業が異常に多いのだろう。
報告書のための報告書とかね。
自分の好きな仕事をしている人から
忙しいということばはあまり聞かない。
「やることが多い」と「忙しい」はイコールではない。

「もっと勉強すればよかった(けど今はできないから諦める)」

現状には不満があるし
これからの未来も不安だけど
子育てや仕事に時間がかかりすぎているので
今はできないから諦めよう、
あの頃の自分、もっと勉強しとけよ、と責めることで
今動き出さない自分を正当化しようとしている
そういう精神状態なんだろうか。

そういう大人に限って
学生に対して
「今のうちに勉強しとけよ、社会人になったらそんな時間ないぞ」
とか偉そうなことを言うのだ。

勉強に対する考え方

「勉強は自分のためにやるものですよ」

中学だか高校だか忘れたが、
先生にこれを言われたことがある。
そのときに思ったのは
「だったら私に役に立つ具体的な理由を教えてください」
実際、それを何人かの先生にぶつけてみたが
結局だれも教えてくれなかった。

私の親は両親とも資格更新のためや新たな資格取得のため、
職業柄、情報のアップデートが常に必要などの理由で
勉強しつづけていた。
家に本が大量にあり、
引越しのたびに引越し業者に嫌な顔をされていた。
親はリアルに必要な勉強をしていたから
やらない選択肢を持っていなかった。
私が大学院に進学するマインドを持っているのは
当たり前に大人が勉強する姿を見ていたからかもしれない。
しかし、そんな環境はかなり特殊だろう。
少なくとも一般的ではない。

学校でやる勉強が
どうやって自分のためになるのか
言語化して伝えている先生は今どれくらいいるのだろうか。
私はスポーツのコーチとして、
非常勤講師として学生に関わることがあるが
その度になぜ今ここにいるのかを考えろ、と伝えているのだが
大抵びっくりされる。
周りの大人はそんなことを言わないんだろう。

試験突破のためのツール扱いをされる知識たち

ニュースで出てくる単語を聞いて
あぁ、どっかで聞いたことあるな〜となる大人が多いことは
日本の就学率の高さが成せる技だろう。
確かに格差は少ないし、
勉強する環境はたいていの子どもに用意される。

しかし、学校で教わるほとんどの知識は
あくまでも試験突破のためのツールとして扱われる。
こう言う問題が出るからこれで答えれば良い。
要は、手段が目的化している、というやつだ。
本当は知識を自分のものにできているかを確認するための試験なのに
試験で良い点を取るために知識を入れるという
非常に本末転倒な状況だ。

学生時代の試験祭りを突破したら解放される

高校、人によっては大学までは、
答えのある試験を突破することをメインの目的として設定し
それをこなすために勉強する。
そこで勉強が面白いとなったり、
いろんなことに疑問を持ったりすれば、
その後も勉強を続けるだろうが、大半はそうではない。

「まだ勉強するの?!えらいねー」
大学院に行くと言ったら言われた言葉NO.1。
別に偉くない。
なんなら、リターンが得られるかもわからないところに
何百万も投資する行為だ。
なのに、そういう反応が多いのは
学校=勉強=苦行、だからなのだろう。

「知りたい」と思わせるインプット→アウトプット

先生の仕事はその教科・内容を好きにさせること

先生はなんのためにいるか?という問いに
私ならこう答える。「その教科や内容を好きにさせるため」

スポーツコーチングの世界ではよく言われることだし
科学的にも証明されているが、
要するに、「好きこそものの上手なれ」が大前提。
好きになってくれたら勝手に勉強するし
勝手にアウトプットするのだ。
サッカーのリフティングを、陰でコソコソ練習して
表で披露する少年がまさにそれだ。
「北風と太陽」さながら、
勉強しなさい!と言われて育った子が自分で勉強するだろうか。

なので、無理やりやらせるよりも
どうやったら好きになってくれるかを考えるべきなのだ。
そのためには一人一人に合わせないといけないし
先生自身もいろんなアプローチを取り入れないといけないので
かなり技術がいる。
しかしその技術さえ身につけてしまえば
あとはなんでも良いのだ。
子ども向けの教材がキャラクターものであふれている理由は
興味を持ってもらうためだろう。
それをどうして大きくなるとやめてしまうのだろう。

無の状態から好きなものを探させるな

じゃあいきなり「どんなことが好き?」と聞くべきではない。
カードを持っていないのに
一枚出しなさいと言われても出せない。
最初は何枚かカードを渡す必要がある。

色だってなんだって、
知っているから選べるのだ。
何も知らない状態で、数学が好きか、地理が好きか、なんてわからない。
自主性、自主性と強調して
無の状態の子どもにディスカッションさせるなんて
無謀にも程がある。
そりゃ意見なんか出ないだろう。
どちらが上か下かということではなく
人と「違う」ことを認識するために比較することもある程度は必要だろう。
そうやって人は自分の「好き」を探していく。

大人になってから勉強した方が良い

自分の「好き」や興味、必要性がわかってきたから知りたくなる

大人になって「もっと勉強すればよかった」と思うのは
自分がどんなものが好きで、
こういうものに興味があって、
成長するには、もしくは下げ止まるのはこういうものが必要で、
ということが
人との比較や経験によってわかってくるからである。
それがわかったあとのインプットの方がコスパがいい。
吸収率が全然違う。

小さい頃だから習得しやすい、ということではない

記憶力が年齢とともに下がるという話は
通説として捉えられているが、
記憶のメカニズムを考えると
大人の方が覚えていられることは多いはずである。

特に言語に関しては、
日本人は「小さい頃にやっていなかった」ことを理由にしたがるが
そんなことはないことを
多くのノンネイティブだけど日本語を上手に話す人たちが証明している。

大人の方が予備知識や思考力が備わっているので
話が早かったりするし、
自分で勝手に考えるので質問も湧いてくる。
質問をするということは理解しようとしている証拠なので
どんな勉強においても質問はすべきであるが、
これが小さい子には非常に難しい。
大人になってから勉強するメリットである。

お金を払ったんだから頑張らなくちゃと思える

教育は回収率の低い投資であることは
周知の事実であるが
ことリカレント教育(=再教育)に関してはどうだろう。
ある程度の回収率が見込める可能性がある。
なぜなら、自分でお金を払うからだ。

大人であれば、たいていは自分のお金を払うことになるので
「申し込んじゃったし、やるか」というような
外的な動機づけが存在する。
子どもにいくら言っても、
大人が思う「金がかかっている」という感覚はわからないだろう。
自分で稼いだカネを使うのだから
有意義にしようと思えるのだ。

大人が学べる環境を

大人の勉強という、教育投資の中ではある意味コスパの良い選択肢を
まざまざ捨てるのは社会としてもったいない。
本人の心の持ち様もあるが、
子育てや仕事、そもそもの教育のあり方など、
システムエラーである部分も大きい。

勉強は自分が必要だと思うからやる、
そして、大人が勉強した方が良いよね、という空気感が生まれることを
切に願ってやまない。
そういう方向性に持っていかないと
ただでさえ暗いこの国の未来がどんどん暗くなる一方だ。

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