壁打ちクソデカ感情。

吐き出したいクソデカ感情がある。ただこれは一個人のひとりごとであって、これに意見を求めている訳でもなければ誰かを傷つけたい意図は全くもってないことは理解していただきたい。

私は最近話題の日高光啓さんの一ファンであった。
最初の出会いは姉に連れられていったAAAのファンミーティング。事前にMVなどを見せられていて、「私はこの人がいいかな〜」とぼんやり日高くんの顔ファンになっていた。
当日、本人を見て、すっかり好きになった。楽しそうにパフォーマンスする姿が輝いて見えた。

パートナーのモクちゃんにもAAAを薦めて、みんなでそれぞれ好きなメンバーができた。AAAはみんなソロ活動もしていたので、私は日高くんがSKYーHIとして歌う楽曲も聴くようになった。

元々、ラップは興味がなかった。
それどころか若干の嫌悪感すらあった。パリピ!みたいなイメージが私の中であったからだ。ヨーチェケラー的なそのノリは私とは無縁だと思っていたのだ。
だけれど、日高くんのそれは違った。格好良くて、詞も良くて、メッセージ性が強くて、洗練されたサウンドで、一気に好きになった。他のラップミュージックも聴くことが増えて、新しい自分を知るきっかけになった。

すぐにSKYーHIのライブに行った。
信じられないくらい泣いた。何度行っても心が浄化されるようだった。歌ももちろん、日高くんの口から紡がれる言葉が胸にぐさぐさと刺さった。あの言葉たちが私を救ってくれた。

私はAAAの日高くんも、SKYーHIも、変わらず大好きだった。だからこそ、日高くんと呼ぶことに多少の違和感を感じて、勝手にすっくんと愛称をつけて呼ぶことにした。これに関しては本当に痛ファンのやったことなので深く突っ込まないでいただきたい。
が、この先すっくんと呼ばせていただくのでご了承願いたい。

ある時、すっくんに直接お礼を伝えられる機会があった。握手会のような、少しだけ言葉を交わせるイベントがあったのだ。私は列に並びながら吐きそうなくらい緊張していた。順番が回ってくるのは案外早くて、本当にガタガタ震えていた。
すっくんは私の手を両手でしっかり握って、私の目をそれはそれはしっかりと見て話を聞いてくれた。なんて言ったかまで一語一句覚えてはいないが、とりあえず出会えてよかった、ありがとう、という旨を伝えたと思う。すっくんが目の前に居るのに、地面しか見えないくらいの深いお辞儀をして立ち去った。緊張した。でも気持ちを伝えられて嬉しかった。優しくて、しっかり聞いてくれたすっくんをもっと好きになった。

スッキリですっくんが出るよ!とモクちゃんに聞いた時、私は喜べなかった。元々テレビが苦手なのもあって、それを楽しみにできる自信がなかったのと、どうせ見るならばしっかり追いたい派なので、それが苦しくなる気がしたからだ。推しがテレビに出ているのに積極的に見ない、と言う選択が正しくない気はしたのだが、私の健康のために私は遠目に見るだけにした。
と言うのも、モクちゃんはテレビ好きで、オーディション企画も割と好きだったため、テレビはついていたのだ。どうにかこうにか自衛しながら、横目で見るような生活がしばらく続いた。

私は、すっくんが楽しいならそれでいいと思っていた。
やりたいことが出来て、幸せそうで、それでいいと思っていた。
それでも違和感を感じ始めたのも事実だった。最近のSNSとかの発言で、「今が楽しい」「今が幸せ」の誇張のためか、「過去がつらい」話が目立ったからだ。
私も過去にはトラウマがいっぱいあるし、楽しかったと思える思い出の方が少ない。それでも、すっくんの言葉には、今が全てで、過去は悪いことばかりで、我慢ばっかりで、でも今ようやく幸せになれたよ!と言う、そういうニュアンスがたくさん含まれている感じがするのだ。
それは事実だとしても、私は、私が突き放された気持ちになった。
今まで、すっくんはライブに行くと、「お前ら」ではなく「君」のような、一人一人、個人に向けて言葉を放ってくれる人だと思っていた。私はそれが心地よかった。
でも最近のすっくんのSNSに出てくる「君」は、新しい仲間たちしか含まれていないような、そんな感じがする。

すっくんは、昔のトラウマや辛かったこと、我慢してきたことを、今新しい生活で上書きしようとしているのかもしれない。
でも私が出会ったのは、すっくんが「我慢していた」時期に当てはまると思う。
すっくんが否定しているものに、私と、私の気持ちが含まれているように思えてしまうのだ。

すっくんは、新しい仲間に「クソデカ感情」を抱いているみたいだけど、それなら私もすっくんに「クソデカ感情」を抱いている。
私が今まで見て素敵だと思っていたすっくんはなんだったのだろう?過去を否定されると、今までの私が溶けてなくなってしまうような気持ちだ。救いや光が見えたすっくんは、泥まみれの私を置いていってしまうのだろう。よくある「遠くに行ってしまう」と言う寂しさではなくて、「もういらないんだな」「消されてしまうんだな」「救ってはもらえないんだな」と言う寂しさが強い。もう、新しい仲間と、それを応援してくれるファンが居れば、すっくんは笑って立っていられる。私みたいな、すっくんの言葉が、存在が救いだと縋るファンはもういらないのかも知れない。

今がすっくんにとって理想の在り方なら、それはそれが正解なんだと思う。
でも私は、なんだか裏切られた気持ちがじんわり芽生えてくる。
もしかしたら、あの時「君」に放った言葉も、全部「我慢して」言った言葉なのかなとか、つらいつらいと思いながら私たちの前でパフォーマンスしてたのかなとか、どんどんネガティブになってしまう。

でもこんなクソデカ感情は私の心を弱らせるだけだから、さっさと捨ててしまうのがいいのだろう。
私もすっくんに助けられた日々を、「辛かった記憶」と思うべきかな。

あなたに会えてよかったって気持ちが、間違いだと思いたくはないけれど、きっとそろそろ、すっくんのことを考える時間はどんどん減っていくのかもしれない。


やどり

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