嵯峨景子『コバルト文庫で辿る少女小説変遷史』(彩流社)

集英社コバルト文庫にはそれほど詳しいわけではない。読んでいるのは山尾悠子『オットーと魔術師』と今野緒雪「マリア様がみてる」シリーズくらいで、ほかの少女小説レーベルでも講談社X文庫ホワイトハートの井辻朱美作品や小野不由美「十二国記」シリーズを読んだ程度だ。

本書のタイトルからは少女小説というジャンルの文学史という印象を受ける。もちろんそういう面もあるのだが、読んでみるとそれだけではないことがわかる。著者は社会学の研究者で、これまで明治・大正期の少女雑誌における投書についての研究などをしてきた。そこで培った手法を活かし、作品のテーマや内容を追うだけではなく、読者の反応もおさえていて、なかなか見えづらい読書の現場に迫っている。流行に敏感な少女たちの願望・欲望を反映して次々に新しいタイプの作品が生み出されてくるさまは、まさに社会学のフィールドなのだろう。豊富な資料で描き出された歴史は、少女小説のあまりいい読者ではない者にとっても、とても読みごたえがあるものだった。

資料でまず目を引くのが「学校読書調査」だ。

毎日新聞社が毎年行っている学校読書調査は、小学校四年生から高校三年生までを対象に、学年別男女別にどのような本をよんでいるのか、その実体をしめすものとなっている。(p.55)

この調査は今年で六十二回になるそうで、今年の概要はこちらから読める。こういう調査があったこと自体知らなかったが、紹介されたランキングだけでも楽しく、これだけで一冊本が書けそうだ。

ほかには雑誌「Cobalt」の読者の声なども引用されている。ネットがなかった頃はこういう読者欄の存在は大きかった。自分もいくつかの雑誌で投稿したことを思い出し懐かしくなる。

それはともかく、本書の内容に戻ると全体は五章で構成されている。

第1章「『小説ジュニア』から『Cobalt』へ」は前史からコバルト文庫へいたる流れをたどる。明治・大正時代の少女小説、年長者からの教育的側面が強い戦後のジュニア小説、読者に近い世代の書き手によるコバルト文庫。「少女小説」という言葉でひと括りにしてしまいそうだが、それぞれの間には前者を否定するような運動があったそうだ。このあたりはとてもダイナミックで面白かった。

第2章「一九八〇年代と少女小説ブーム」は人気が定着してなかでの編集部のプロモーション戦略と作家の温度差、ブームに伴う各出版社のレーベル創刊ラッシュ、そのなかでも講談社X文庫ティーンズハートの特異性が分析されている。

第3章「ファンタジーの隆盛と多様化する九〇年代」では、RPG人気を背景にした『ロードス島戦記』などのファンタジーブームの波が少女小説にも押し寄せ、それまでの書き手が離れていったり複数レーベルで対応したりといった変化が訪れる。BLも登場するなど多様化が進んでいく。

第4章「二〇〇〇年代半ばまでの少女小説」では、ライトノベルやケータイ小説の登場によって読者の好みも多様化していくなかで、レーベルとしての独自性が模索される。ファンタジー路線の角川ビーンズ文庫の成功に対し、コバルト文庫は男性読者を獲得した「マリア様がみてる」シリーズ、恋愛要素の強い長期シリーズが登場した。

第5章「二〇〇六年から現在までの少女小説」では、レーベルの再編、「姫嫁」ジャンルの出現、ウェブ小説やボカロ小説など現在進行形の事象を扱っている。

本書においてコバルト文庫が軸になっているのは変化の激しい少女小説の世界で、基本コンセプトが明確だったということが大きいようだ。老舗の底力を感じたが、一方で文庫創刊40周年の節目となる2016年に雑誌『Cobalt』が終刊し、ウェブに移行するという大きな転換を迎えている。いい「引き」で終わっていて、絶妙のタイミングでの出版だったようだ。巻末の年表もよくまとまっていて資料価値が高い。

「あとがき、あるいは私的な読書回顧録」の読書遍歴を読むと、著者とは五歳違いなのだが、共感できるところが多い一方で差を感じたところもある。とくに著者は母親の蔵書で『ロードス島戦記』『風の大陸』を読んだそうだが、私はどちらも中学生の頃にリアルタイムで買っていた。家にほとんど本がない環境で育ったので羨ましい限りだ。

実をいうと著者の嵯峨さんとは旧知の間柄なのだが、それを抜きにしてもたいへん楽しめた。私にとっては「近くて遠い」コバルト文庫と少女小説の世界を、すっきりとわかりやすく見せてくれた嵯峨さんの今後の活躍も楽しみにしている。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?