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無駄を削ぎ落しすぎない暮らし

yatsuki fujii

ミニマルとかシンプルな暮らしって疲れませんか?

私の部屋はモノが多く、全くスッキリとしてませんが、何だか流行のシンプルとかミニマルな暮らしに興味があった時期がありました。でも向いてなかったんですね。シンプルだ!ミニマルだ!って一瞬スッキリした気持ちになるのだけれど、物が少なくて無駄が削ぎ落とされ画一化された空気感が、私はめっぽうダメなタイプらしい。私と同じタイプの人も多いのでは?

音符が舞わない日常ってつまらない

自分の周りに音符が舞ってる時ってありませんか?
気分が良い、気持ちがいい、上機嫌な気持ちが外側に放出されている感じ。

私の場合、お気に入りの服を身に纏ってる時によくこの音符が出現し、舞っています。古着が好きで、持っている服のほとんどはヴィンテージです。
よく古着屋さんに足を運ぶのですが、買い物で即買いをかます定番の瞬間があります。「うわ、やりました。見つけました。これ絶対的に私に似合うやつやん。私が袖を通さずしてどうするのか。」と確信する瞬間がそうで、そうして手に入れたモノたちは何年経っても私の心を満たしてくれます

私から音符が舞う瞬間

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さて、購入した子供たち(古着たち)を着るとき、明確な着たいシーンやイメージみたいなものが出てくることがあります。
例えば、何年か前に好みのチャイナシューズを台湾の露店でゲットしたのですが、この時は「中国の重慶に住む地元で有名な刀削麺の繫盛店の隣に住んでいて、将来は上海に住みたい女の子」がテーマでこのチャイナシューズを身にまとい、三つ編みして出かけました。「いやそれどんな格好だよ、しかも設定台湾じゃないのかよ」と色々突っ込まれそうですが、この時に中国人に、しかも中国語で道を聞かれたことは我ながら勝った気がしました。

このように密かに裏テーマを設定して遊んだり、シンプルに自分好みの服を身に纏ってる時、常に私から上機嫌の音符が舞っています。
日常がグッと楽しくなって豊かになります

無駄を削ぎ落しすぎない暮らし

私は毎朝自分が着る服に悩みたいので、スティーブ・ジョブズ氏にはなれません。悩まなくてもなれませんが…。
着る服で迷う時間、確かに勿体無いなと思う時もあります。でも全力で迷って疲れるのって結構楽しい。たまに失敗して、「あー、今日の靴下これじゃない。無理、オワッタ。早く帰って脱ぎたい。」とその日1日が上手くいかないこともあります。笑

でもこういった無駄な動きや非効率さもそれはそれで楽しいそれが好きなもので、意思のある選択なので

なので、「ほれほれ、これなら間違いないでしょう」、「みて!機能的!合理的!効率的!」みたいなことを主張されすぎると「わかったよ、もういいよ」となります。

「選択しなくてもすむよ」でなく、選択させてほしい。

皆さんも同じように音符が舞う瞬間ってありますか?

それって誰かの日常を楽しくしているの?

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話は逸れますが、ソーシャルグッドとかエコロジーとかその類の話は好きなんです。「GOODなこと?ならWHY NOT?」って思うから。

「ほれ!こんなに環境に優しいのよっ!」と主張されたら、「うんうん、そうだよね、そうあるべきだよね。すごい、感心する。」と思う。

でも、感覚的にはこれに胸が高まることってあまりない。すごく良いことだし、超クールなんだけど、「ワオ!オーマイガー、アイラブイット!!」にはならなくて、それ以上でも以下でもない。そこに私の意思が十分にないので違和感を感じることがあります。もちろん選択・購買理由の一つになるかもしれないけど、それ自体が私の心と日常を満たしてくれていなければ、大抵はこの感心は忘れて消えてしまうような・・・。

好きとか意思のある選択って偉大かも

社会貢献とかソーシャルグッドなことって共感されて行動してもらうのってなかなかハードルが高い印象があります。でも、既に誰かの心を潤していることが前提なら、つまり既に「ワオ!オーマイガー、アイラブイット!!」なものが、もっとクールなことしてたら「ワオ!さすがやん!まじかよ!もっと好きになったわ!!」となる瞬間がとても理想なのではと。

だから多少不合理・非効率でも、好きとか意思のある選択って偉大かも。だって好きなわけだし(不合理(笑))、自分の意思できちんと選んだものって長く自分の心に残りませんか?

前回の社員投稿記事も好きの偉大さを実感するので、読んでいない方は以下から是非。 ↓↓

今日も好きなものに囲まれながら、ある程度の無駄を楽しみたいと思うのでした。

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yatsuki fujii
どうやらINFJらしいです。