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私の嫉妬その5:英語ができる

これは間違いなく私の努力不足なのだが、英語が得意な人を見るとカッコいいと感じると同時に、自分のポンコツさを見せつけられてつらくなり、嫉妬をする。何故なら英語が苦手だからだ。

読みはまだいける(といっても辞書は欠かせないが)。拙いながらも簡単な英文なら書ける。問題なのがスピーキングとリスニングだ。

以前ハワイに行ったことがあるのだが、支払いのときに「Credit」ということぐらいしかできなかった。なんとも無様で惨めなんだろうか。また、ホテルで会話をしなければならないときがあったのだが、全くもって聞き取ることができなかった。ボキャブラリー不足も原因だが、明らかに耳が英語に対応していないのもあったりする。従業員さんは優しくゆっくりと話してくれたのだが、最終的には呆れられてコミュニケーションを放棄された。そのときはしゅんとしてしまい、自分の情けなさに消えてなくなりたくなった。

単純な能力だけでなく、英会話は度胸やコミュニケーション能力もものをいう。私の妻は持ち前の馬鹿力のコミュ力と度胸で乗り切った。私はそれに付いていくしかなかった。

英語で困ったエピソードは他にもある。

大学院生の頃、海外から先生がやって来て講演会を開く機会があった。その先生のお迎え役という大役を私と先輩が引き受けることになったのだが、道中話をしなければならなかった。先輩は英語が達者でガンガン会話をしていたのだが、私は好きな日本料理は何?くらいしか聞くことができないという恥ずかしい思いをしてしまったのだ。私は小さく、小さくなり、この場から逃げたい気持ちでいっぱいだった。

英語は努力すればある程度できるようになる。何より大学院生には必須のスキルともいえるだろう。

しかし私はその努力を怠った。大学生、大学院生は時間があるので英会話をやっておけば……と後悔している。お金をかけてもいいし、お金をかけなくても勉強できるツールや機会はたくさん転がっている。

なまじ高学歴な私にとって、英語ができないことは大きなコンプレックスだ。そして、英語ができる人に嫉妬してしまう。完全にわたしのせいなのだから、かなり自分勝手な嫉妬なのだが。

英語を学ぶのは今からでも遅くないだろうが、ついつい苦手意識と言い訳が出てしまう。国際社会な現代なのに、もしかしたら一生英語が喋れない、喋ろうともしないと考えると、少しゾッとする。

ブログとはまた違ったテイストです。