「学術会議不要論」のひとは、なぜ菅を批判しないのか。

日本学術会議の会員任命問題で、不可解な反応のひとつに、こういうのがある。
「学術会議は不要だ。」
単独の主張ならば、これは意味を持つだろう。
だが、菅の6人任命拒否という問題と絡めて言うならば、「学術会議は不要だ」というひとたちは、なぜ、菅が99人も任命したことに対して黙っているのか。
99人と6人を比較すれば、99人の方がはるかに多い。
さらに。
なぜ、学術会議を存続させてきた安倍を批判しないのか。
もしほんとうに「学術会議」の存在を批判するならば、同時に学術会議存在させている菅を、存在させるために99人を任命した菅を批判すべきだろう。
「学術会議不要論」を持ちだした人がやっていることは、「学術会議不要論」を盾に、「菅批判を許さない」という「論理のすりかえ」である。
ほんとうに「学術会議不要論」を主張するなら、「6人を任命しなかったことを追及するだけでは手ぬるい。99人も任命した菅を許さない」という論理になるはずだが、私は「学術会議不要論」と「菅批判」をいっしょに展開しているひとの発言を、まだ、読んだことがない。

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