独裁のはじまり。

「日本学術会議 会員の一部候補の任命を菅首相が見送り」というニュースが報道されている。「赤旗」がスクープしたものを、NHKも追いかけている。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201001/k10012643361000.html?fbclid=IwAR18pct1l1xf020uGcHD3dFlMDFbcl6rPEK8PgaOJo-GCEwEICs44rK5gzo

独裁はいつでも、こういう「わかりにくい」ところからはじまる。
日本学術会議の会員がだれかということは、一般のひとは知らない。
だから学者が会員になれなかったからといって、それが生活にどう影響してくるかも実感できない。
極端に言えば、素人は「その人の学問の水準が基準に達していないということでは」と思ってしまう。
自分に、その「学問」に対する知識がないのに、である。
これがたとえば「紅白歌合戦」の出場者だったりしたら、「えっ、あんなに売れているのになぜ?」という声が起きる。
昔、グループサウンズが締め出されたように。ピーターが締め出されたように。
ひばりが、弟の問題で出場できなくなったとき、なぜ?という声が起きたように。
学問の世界は、たとえば田中耕一さんがノーベル賞をとったとき、みんながびっくりした。
「下馬評」にもあがっていなかった。でも選ばれた。
知っているひとは知っているが、知らないひとは知りようがないというのが学問の世界である。
こういうわかりにくいところから、菅が手をつけたというは、非常に「巧妙」である。
きっと官僚の人事も、非常に見えにくいところから支配し始めるのだろう。
「官邸の方針に従わない人間は異動させる」と菅は公言していたが、トップを異動させる先に、現場に近い「課長」とか「係長」とか(役職がわからないのでテキトウに書くが)のようなところから手をつけるのだ。
会社だって、そうでしょ?
部長になかなかなれない、という前に、課長になかなかなれない、係長になかなかなれない。課長になるはずが「左遷された」とかね。
こういう「人事」は「会社全体」では目立たない。しかし、「現場」では非常にリアリティーがあるものとしてひとを支配する。
「あの人、部長の意見に反対していたもんね」とか。
で。
言い直すと。
菅のやっているのは「国家の人事」ではなく、「小さい会社の人事」なのだ。
こういう人事をやる組織は、結局、大きくなれない。
どんどん小さくなる。
日本の崩壊が「学問」からはじまった、ということだ。

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