もう、むちゃくちゃ。

「日本学術会議新会員」の「6人任命拒否」問題の「続報」がネットに次々に報道されている。
「出典」を明記すべきなのかもしれないが、ちょっとややこしい。あまりに多くて、書き切れない。
フェイスブックに書いたことを転写しておく。(フェイスブックの「タイムライン」の書き込みは、すぐに行方不明になる。)

東京新聞
https://www.tokyo-np.co.jp/article/61394?fbclid=IwAR2glIqTXE9ZuZweMN3GsjxFyxZyeBBzju1K37wTzocdgoiINB2xo4nP4bo
「杉田和博官房副長官が内閣府の提案に基づき、任命できない人が複数いると、菅義偉首相に口頭で報告していた」
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この「内閣府の提案」というのは、いったいどういう意味だろう。
「内閣府」は人間ではない。「内閣府」が提案できるわけがない。誰かが提案している。
先日見た「シカゴ7裁判」という映画では、主人公が「所有形(たとえば、われわれが、our)」をつかってしまうことが問題になっていたが、日本語は、こういうあいまいな言い方でことをすませてしまうことが多い。
こういう表現を許してはならない。
ジャーナリズムは「ことば」を生きているのだから、ことばの問題をもっと追及すべきだ。
杉田がこう言っているから、それをそのまま伝えるでは、テープレコーダー(もう、言わないか・・・・)、あるいは広報にすぎない。
しっかりしろよ。

情報速報ドットコム
https://johosokuhou.com/2020/10/13/38269/?fbclid=IwAR2tCB1pGoEgad0PxMLUNe2p4DwFvXU_t20IYJNVL_M_2n8RH6Fl408O6Ck
杉田副長官も元公安トップであり、そのような人が学者を選別したという事実に批判の声が強まっているところです。
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こういう表現は、まだるっこしい。
「批判の声が強まっている」ではなくて、ジャーナリストとしてこの問題をどうとらえていくか、それをきちんと書かないいけない。
上のような書き方では「批判の声は高まっている」が情報速報ドットコムはそうは思わない、と主張しているとも受け取ることができる。
いま問われているのは、「学問の自由」に対して、あらゆる言論がどのような態度をとるか、である。
「学問の自由」が侵害されれば、「言論の自由」も「思想の自由」も侵害される。
それも「公安トップ」(杉田は「元」であると主張するだろうが)が関与している。
戦前の思想統制がはじまっている。
そしてそれは「2012年の自民党改憲草案」の先取りといえる。
学者が国の政策に反対意見を言うのは「緊急事態」にあたると定義して、学者を逮捕するということが起きるのだ。
しかもその全てが「法解釈を見直した/変更した」というだけの説明でおこなわれるのだ。

朝日新聞デジタル
https://www.asahi.com/articles/ASNBF0F3XNBDUTFK011.html?fbclid=IwAR3UKIbr--wEdeF4_UTPYx03OvSU541NLWZ2cRX1tz7owFcrt0_5oB7cV8Q
杉田和博官房副長官が事前に首相に対し、「任命できない候補者がいる」という趣旨の報告を行った。
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そうだとすると、管は、杉田の判断に基づいて99人を任命したことになる。「任命できない候補者」を管が選んだわけではない。
管が選んだとしても問題があるが(最初の批判は、そういうものだった)、管が選んだのではないとしたら、それはもう「内閣総理大臣が任命」ではない。
「日本学術会議法」は、こう規定している
第七条 日本学術会議は、二百十人の日本学術会議会員(以下「会員」という。)をもつて、これを組織する。
2 会員は、第十七条の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する。
完全に「違法行為」にあたる。
弁解(?)すればするほど、「墓穴」が大きくなる。
はたして「杉田が独断でやった」と杉田の更迭だけで処理できるかどうか。
杉田を官房副長官に任命した責任も問われるだろう。

NHKのサイト
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201013/k10012660911000.html?fbclid=IwAR2tCB1pGoEgad0PxMLUNe2p4DwFvXU_t20IYJNVL_M_2n8RH6Fl408O6Ck
加藤官房長官は、日本学術会議の会員の任命について、「菅総理大臣に、任命にあたっての考え方の説明があって、共有され、それにのっとって作業が行われて、起案された。最終的に菅総理大臣が決裁したというプロセスだ」と述べました。
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そうであるなら、管が「任命にあたって、どういう考え方を説明したのか」ということをいうべきである。
もし管が「考え方を説明した」のなら、それは「選別をした」ということと変わりがない。「選別基準」は管がつくったのである。杉田が独断でやったのではないということになる。
「105人の名簿」は見ていなくても、「105人」から何人かを除外しろという指示を出したことになる。
「見ていないから知らない」という安倍流の「ぼくちゃん、何も知らない。ほくちゃん、何もしていない」は通用しない。
森友学園問題では、安倍は「ぼくちゃんが指示をしたという証拠は、どこにもない。だれもぼくちゃんから指示を受けたとは証言していない」と逃げた。
しかし、今回は、加藤が「菅総理大臣に、任命にあたっての考え方の説明があって、共有され」と、証言している。
記者会見に出席している記者は、菅の説明がどのようなものだったか、その説明を「共有」するために、どういうことがおこなわれたのか、そのことを聞くべきである。
「そのときの菅の考え方というのは、どういうものですか? 考え方を説明したというが、その記録(文書)はあるか」
こういうことを聞かないといけない。
どの記事を読んでも、非常にまだるっこしい。
記者は、記者会見の現場に居合わせ、質問できるという「特権」をもっている。
言われたことをそのまま「はい、わかりました」と受け止めるのではなく、ちゃんと質問しろ。


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