「自由の乱用」ということばにごまかされるな。

共同通信がおもしろい記事を配信していた。
https://this.kiji.is/697063830492546145

見出しは「伊吹氏『学問の自由は印籠か』/学術会議側をけん制」。
そこに、こう書いてあったのだ。

自民党の伊吹文明元衆院議長は5日の二階派会合で、日本学術会議の会員任命拒否問題に関連し「学問の自由と言えば、水戸黄門の印籠の下にひれ伏さなくてはいけないのか。憲法は、自由は乱用してはならないと定めている」と述べ、学術会議側をけん制した。
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これを読みながら、私は、こう考えた。

非常に疑問に思うのだが、「学問の自由を乱用(濫用)する」ということばをつかったとき、伊吹はどういうことを想定して発言したのだろうか。
たとえば「学問」といえるほどのことではないが、私はいろいろな文学作品を読んで好き勝手な感想を書いている。「自由」に書いている。
これは、どれだけ自由に書いても、大丈夫か。
「谷川俊太郎の詩はつまらない。この作品のこのことばが納得できない」と書けば、谷川は怒るか。怒ったからといって、別に、だれの迷惑になるわけでもないだろう。
どんな基準で、どう評価するか、その評価を谷川がどう思うか、谷川のファンがどう思うか。
こういうことに対して、菅が「学問の自由を濫用している」と批判するわけがない。
そうすると、別のことを考えないといけない。
たとえば私は「詩人が読み解く自民党憲法草案の大事なポイント」という本を出した。あるいは「天皇の悲鳴」という本を出した。
その中では、2012年の自民党改憲草案を批判し、安倍の平成の天皇への圧力を批判している。
私の場合は「学問」という立派なものではないが、「学者」ならもっと厳密に批判するかもしれない。
もし「学者」が私が書いたようなことを研究し、公表する。自民党批判、政府批判を展開する。
たぶん、こういうときに「学問の自由を根拠に、政治批判をしてはいけない」ということが言われるのである。
「学問の自由は濫用してはいけない」は「自民党批判、政府批判をするために、学問の自由を主張してはならない」ということであり、「学問は自民党を肯定し、政府を肯定するものでなければならない」へと転換していくのである。
「学問の自由と言えば、水戸黄門の印籠の下にひれ伏さなくてはいけないのか」という言い方には、とてもおもしろい視点が見え隠れする。
「学問の自由を根拠に、学者が自民党批判、政府批判をしたら、自民党や政府はその批判にひれ伏さないといけないのか(そんなことはない)」と言いたいのである。
いろんな現象にはいろんなものの見方がある。
たとえば原発問題。自民党、政府は「原発は安全である。経済的である」という「学者」の意見は積極的に採用し、それを前面に押し出す。
その一方で、「原発は危険である。廃棄処理に金がかかり、不経済である」という「学者」の意見は退ける。
「学者」の意見が対立したとき、どうするか。自民党、政府は、「原発は危険である。廃棄処理に金がかかり、不経済である」と国民に主張するのは「学問の自由の濫用である」と言い出すだろう。そういう批判があると、「原発を推進できなくなる(批判する学問は邪魔になる)」からだ。
実際に起きたこと(6人任命拒否)を中心に考えれば、もっとはっきりする。
6人は政府方針を批判した。つまり「学問の自由」に基づいて、自分自身の意見を言った。
菅は、なぜ「政府は、その6人の意見を水戸黄門の印籠のように尊重し、ひれ伏さなければいけないのか」、そんなことはしたくない。だから任命を拒否したのだ。
しかしなあ。
「水戸黄門の印籠」という例がけっさくだなあ。「ひれ伏す」という動詞の使い方がけっさくだなあ。
伊吹は、政治というものを「絶対権力」と「権力にひれ伏す」という関係でとらえている。
そして、そこに「学問」という「絶対中立」的な存在が入り込むことを恐れている。
「学問の自由」という言い方が、たぶん、「誤解」を招きやすいのだ。「学問の自由」という表現を利用して、伊吹は「自由の濫用」とことばを動かしているが、「学問の自由」とは実は「学問の中立性」にほかならない。
「学問」は権力に奉仕するためのものではない。権力にも国民にも、そして外国人にも(中国人や韓国人にも)「中立」のものである。誰でもが利用できる。それが「学問」。
そうであっては、困る、というのが伊吹の姿勢であり、菅や自民党の姿勢である。
伊吹は菅の主張を代弁しているだけである。
「学問の自由と言えば、水戸黄門の印籠の下にひれ伏さなくてはいけないのか。憲法は、自由は乱用してはならないと定めている」という伊吹のことばだけでは、何が起きるのか、よくわからない。
でも、自分がしていることがどうなるか、ということを具体的にことばにしてみれば、伊吹の主張の危険性がわかる。
「乱用」ということばにだまされてはいけない。
特に「自由の乱用」ということばにだまされてはいけない。

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