オリンピックは中止すべきだ(10)

 コロナ感染で「緊急事態宣言」に4県が追加された。私はテレビを見ていないので詳細はわからないが、対策は「①飲食店の営業は午後8時まで、②酒の提供停止」とこれまでのものの繰り返し。読売新聞(14版・西部版)によれば、「今回の宣言が最後となるような覚悟で、政府をあげて全力で対策を講じていく」と語っているのだが、対策①②を読む限り、どこにも目新しいものはなく「政府をあげて全力で対策を講じる」という気概が伝わって来ない。
 さらに。

 東京五輪については「(感染拡大の)原因になっていない」としたうえで、「五輪・パラリンピックは自宅のテレビで声援を送っていただきたい」と述べた。
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 会場で観戦できないから、みんな自宅でテレビ観戦しているのではないか。
 でも、テレビ観戦し、声援するだけでは満足できないから、人とあって話したりする。好きなゲーム、好きな選手の話をする。どうしたって、人は集まる。私は体調管理のためにプールに行くくらいだが、そのプールでも、泳ぎに来ている人たちは、泳ぎの合間にオリンピックの話をしている。先日たまたま人がほとんどいない日があった。隣のレーンで泳いでいた人が「きょう、少ないでしょ? 卓球の伊藤の試合があるから、みんなテレビを見ている」と教えてくれた。私が出た後は、きっとゲームを見終わったあとの人でいっぱいになっただろう。
 「選手から元気をもらった」とか「みんなで声援しよう」とか、言っておいて、その感動を「共有」することを禁止する。こんなばかげか政策があるだろうか。感動は「私はこんなに感動している」とだれかに語ること以外では「共有」できない。感動の共有、みんなでいっしょにはしゃぐことを禁止しておいて、「オリンピック選手の活躍はすばらしい」などというのは、菅が「感動の共有」を求めているのではなく、国民の目がコロナ批判からオリンピック種の活躍に向くようにをしむけたいのだろう。「目くらまし/目逸らし作戦」である。日本選手が金メダルをとっている限り、コロナ対策に対する批判、菅政権への批判は大きくならない。日本選手が大活躍すれば「五輪は大成功だった」と主張し、総選挙の宣伝に利用できると考えているからだろう。「五輪の感動を教えてくれた菅は偉大な政治家だ」とアピールしたいからだろう。
 選手の活躍は利用する。しかし、その活躍を共有したいという国民の声は拒否する。自宅でテレビを見ているだけにしろ、と迫る。人間が感情を持っているということを菅は知らないのだ。
 さらに、そういう「目逸らし作戦」ではどうすることもできないところまでコロナ感染は拡大してきている。
 何をすべきなのか。

 記者会見も私は見ていないのだが、共産党の志井のツイッターによれば
https://twitter.com/shiikazuo/status/1421062556429389833?s=25&fbclid=IwAR3eoq0IYDUTKWc6GmfOtGhrEVEryd0-dtW9m_kV-YiHUe9KgsnzGBRzVrA
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記者「危機感を共有するために何が大切と考えるか」
首相「国民に危機感をもっていただくことが大切だ」
だめだこれは。
何を聞かれたかも理解していない。
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 国民に危機感が足りないのではなく、菅に危機感が足りないのだ。菅が危機感を持っていないから、こんなことになる。
①きのうまで国民に向かって何も語りかけなかった
②非常事態宣言の開始が「8月2日」と、即時ではない
③オリンピックを中止しない
 この3点だけでも、菅に危機感が欠如していることがわかる。コロナ感染拡大の責任を、国民の「自己責任」に押しつけることが政治の仕事であるはずがない。

 「オリンピックを中止する」と言えば、いま起きていることの「衝撃力」が国民にはっきりつたわる。世界にもつたわる。


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