なぜ「企業」ではなく「国民」が協力しないといけないのか。

 きょう、2022年04月08日の読売新聞(14版・西部版)の一面トップ記事は「露産石炭 輸入禁止へ/追加制裁 エネ分野も/G7と協調」。ロシア軍のウクライナ住民虐殺の疑いが高まったことから、経済制裁措置を拡大するというもの。

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 日本の石炭の輸入先のうち、主に発電用に使う「一般炭」の13%、製鉄などに使う「原料炭」の8%をロシアが占める(2021年速報値)。このため、政府はこれまでエネルギー分野での制裁に慎重だった。だが、ロシア軍の非人道的行為に批判が高まっていることを踏まえ、ロシアの基幹産業に打撃を与えて戦争継続を困難にするため、先進7か国(G7)で歩調を合わせることにした。

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 ここまでは何の疑問もなく読むことができる。

 私が、疑問に思ったのは、次の部分。

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 首相は、「非道な侵略を終わらせ、平和秩序を守るための正念場だ」と訴え、国民に理解と協力を求めた。

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 これも、もっともらしく聞こえるんだけれど、なぜ「国民に理解を求めた」のか。ロシア産の石炭を輸入しなくなる結果、国民がなぜ困る? わかっているじゃないか、発電に必要な石炭を他の国から調達しないといけない。製鉄につかう石炭も他の国から調達しないといけない。石炭代がかさむ。電気料金や鉄の値段が上がる。物価が上がる。国民はこの物価上昇に我慢しなければならない。値上げを受け入れなければならない。世界平和、ウクライナの住民を支援するために。

 そうなんだけれど。

 もし、ロシア産よりも安い石炭を他の国から輸入できたら? 物価は下がる? もし、他国から安い石炭を輸入できないにしても、なぜ、「国民」が協力しないといけない? 電力会社や企業が国の政策に協力すればいいのであって(つまり燃料が高騰した分を企業が負担する、赤字を抱え込めばいいのであって)、国民に転嫁しなくてもいいのではないか。電力会社、製鉄会社の事情は知らないが、企業の内部保留(黒字をため込んだもの)が膨大にあると報道されている。企業が協力して、資金を融通するという形で、今回の、ロシアへの経済制裁によって生じる「赤字」を負担するという方法があってもいいのではないだろうか。

 なぜ、「国民に」理解と協力を求めるのだろう。なぜ「企業に」理解と協力を求めないのだろうか。

 簡単だね。企業に、内部保留を吐き出し、協力しろ、企業は底部保留の金を融通しあい、この難局を乗り切れ、なんて言ったら「もう献金はしません」と言われるからだね。自民党の「収入源」がなくなる。だから、そんなことは言わない。

 どういうことを言うか。物価が上昇するということは、国民向けにアピールする。世界平和のため、ウクライナの犠牲者を助けるため、と言えば、誰だって反対はしない。だから原料高騰の分は、気にしないで商品の値段に転嫁すればいい、と言うのである。企業が赤字を抱え込む必要はない。国民の家計が赤字になればいいだけである。

 と、そこまで「露骨」に言うかどうかはわからないけれど。

 でも、ロシアのウクライナ侵攻の背後で動いている「経済システム」は、そういうことだろうと思う。ロシアに対する経済制裁をすることで、日本の企業経済も苦しくなる。でも、それは商品へ転嫁することができる。だから、実際に、企業そのものが赤字を抱えて倒産してしまうということはない。

 ここから、私は、こんなことも思う。

 いまはコロナの影響であらゆる経済が停滞している。企業が苦しんでいる。これを打開するためには、商品を値上げし、収益を確保するしかないのだが、「名目」がない。ロシアへの経済制裁の結果、原料が値上がりしたということがアピールできれば、商品への転嫁も受け入れられやすい。いまは、商品を値上げするチャンス、利益を拡大するチャンスなのである。それぞれの商品に占める原材料の割合を市民は知らない。少し余分に値上げしても、それに気づく国民は、たぶん、いない。

 私の「妄想」だが。

 コロナがこんなに長引かなかったら、今度の戦争は起きなかった。アメリカが、どたばたとアフガニスタンから撤退することもなかった。つまり、アフガンで消費される軍備を購入してもありあまる税金収入があれば、アメリカはアメリカ内部でアメリカの軍需産業を支えることができた。でも、それができなくなった。アフガンに金をつぎ込んでいるから、経済対策ができない、不景気だ。撤退してしまえ、という国民の声が強くなった。でもね。じゃあ、アフガンで消費されなくなった軍備をどこで消費するか、アメリカの軍需産業が金儲けができなければ、アメリカ政府への見返りもなくなってしまう。どうやって、金を稼ぐか。そんなことを、考える必要もなかった。でも、考えないと、どんどん経済は悪化する。(一方で、中国の経済は発展する。)

 私には、「経済システム」が引き起こした戦争に見えてしようがない。

 現代の戦争は「情報戦争」とも呼ばれているが、ロシアを挑発し、ウクライナへの侵攻を誘い出す「情報」は、果たしてなかったのか。ロシアとヨーロッパとの経済関係を断ち切り(ロシアにヨーロッパの金が流れ込まないようにし)、アメリカの経済を立て直す方法はないか、と模索している過程で、ロシアを挑発するという作戦が立てられたかもしれない。

 もちろん、私の「妄想」を「妄想ではない、正しい理解だ」と保証する「証拠」はどこにもない。でも、値上げ、値上げへと一斉に動いている社会を見ると、どうしても疑いたくなるのだ。私たちを支配しているのは「武力」よりも「経済力」なのだ。「経済システム」なのだ。私は「経済学者」ではないし、経営者でもないから、実際に金がどう動いてているか、それが社会にどう影響しているか、わからないのだが、どうしたって変である。

 この「経済戦争」の犠牲者は、きっと日本でも出てくる。金がなくて食品が買えず困った。電気代、ガス代が払えずに困った、という人は出てくる。そして、そのなかから餓死する、凍死する、熱中症で死亡するという人も出てくるだろう。そのひとたちには「銃創」はない。だれが殺したのかわからない。いや、そうではないのだ。それは「国」が殺したのだ。いまでも、貧困による死亡があるが、それは「国」が殺したのだ。その殺人は、ゆっくりと進む。明確な「傷痕」がない。しかし、そういう「国民」を巻き込んだ「経済戦争」がはじまっているのだ。

 私はウクライナで起きていることを、ほんとうに知っているわけではない。「情報」として知っているだけである。でも、身の回りで起きている「商品の値上げの動き」は実感として知っているし、働こうにも仕事がない、金が稼げないということは現実に体験しているので、そこから「世界」を見つめる、新聞で報道されているものとは違う世界が見えてしまう。新聞には書かれていないことが多すぎる、と思う。


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