自民党憲法改正草案再読(24)

(現行憲法)
第四章 国会
第41条
 国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である。
第42条
 国会は、衆議院及び参議院の両議院でこれを構成する。
第43条
1 両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する。
2 両議院の議員の定数は、法律でこれを定める。

(改正草案)
第四章 国会
第41条(国会と立法権)
 国会は、国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である。
第42条(両議院)
 国会は、衆議院及び参議院の両議院で構成する。
第43条(両議院の組織)
1 両議院は、全国民を代表する選挙された議員で組織する。
2 両議院の議員の定数は、法律で定める。

 表記の変更と、「これを」の削除。「これを」という書き方がテーマの提示であることは、第42条、第43条の「文体」をみればはっきりするだろう。「これを」という再提示はしつこく、うるさい感じがするかもしれないが、憲法のような基本的なものには必要なことだと思う。

(現行憲法)
第44条(議員及び選挙人の資格)
 両議院の議員及びその選挙人の資格は、法律で定める。この場合においては、人種、信条、性別、障害の有無、社会的身分、門地、教育、財産又は収入によって差別してはならない。
(改正草案)
第44条(議員及び選挙人の資格)
 両議院の議員及びその選挙人の資格は、法律で定める。この場合においては、人種、信条、性別、障害の有無、社会的身分、門地、教育、財産又は収入によって差別してはならない。

 大きな変更点は「障害の有無」が改正草案で付け加えられたこと。これは、改正草案のいい点である。「但し」を「この場合において」と書き換えている理由はわからない。「この場合において」ということばを改正草案では他の部分でもつかっているか。丁寧に読んでみないと、「意味」(狙い)がわからない。
 「又は」については、先日、現行憲法は「又は」の前に読点をつけないのが普通である。現行憲法では「又は」で結ばれることばは、切り離せない、つまり「同一のもの」という認識があるのかもしれない、と書いた。「財産」と「収入」は基本的には違うが、「財産はあるけれど収入のない人」「収入はあるけれど財産のない人」の区別をしないためのものだろうか。「又は」の前に読点「、」があると印象が違う、ということを先日、書いた。
 これは強引な読み方かもしれないけれど、私は、とりあえずそう読んでみた。
 ところが「但し」「この場合において」は、どういう「違い」を明確にするために「この場合において」をつかったのかわからない。「但し」を「ただし」と表記変更する例は、次の第45条に出てくるが、「この場合において」とはしていない。
 ここには私には気がつきようのないとんでもない「罠(落とし穴)」があるかもしれない。第45条のように変えなくてすむなら、わざわざ変える必要がない。変えたからには何らかの「意図」があるはずだ。


(現行憲法)
第45条
 衆議院議員の任期は、四年とする。但し、衆議院解散の場合には、その期間満了前に終了する。
(改正草案)
第45条(衆議院議員の任期)
 衆議院議員の任期は、四年とする。ただし、衆議院が解散された場合には、その期間満了前に終了する。

 「但し」「ただし」は先に書いたので触れない。
 この条項では「衆議院解散の場合には」を「衆議院が解散された場合には」を書き直している。ここには大きな問題がある。
 「衆議院が解散された場合には」という文体の中では「国会」は「受け身」である。誰かが「国会を解散する」のである。だれがするのか。
 現行憲法では、第69条に「内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、十日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない。」という規定がある。衆議院(主語)が内閣不信任案を可決(内閣信任案を否決)した場合、その決議が正しいかどうか国民に問うために内閣は国会を解散し、総選挙に訴えることができる。いわば衆議院の議決に対する「対抗手段」として内閣に「解散をする権利」を与えている。この「対抗手段」がないと、内閣は「独自性」を確保できないという考えに基づいている、と私は読んでいる。あくまで、衆議院の可決に対する「賛否」を問うのが「解散→総選挙」である。「議会制民主主義」に対して、一定の「歯止め」をかける条項といえる。内閣の構成員(首相)は選挙で選ばれた人である。その選挙で選ばれた人が「不信任」されたときは国民にその是非を問いかけることができる、という「権限の付与」ということになる。
 国会(衆議院)は「自動的」に解散できるわけではない。ちゃんと「任期」が決められており、任期の変更ができる(解散ができる)のは、内閣と国会が対立したとき(内閣不信任が可決されたとき)だけなのである。現行憲法第7条第2項を「借用」して、解散権を振りかざす首相が何人もいたが、第7条は天皇の「権能規定」であって、内閣(首相)について規定したものではない。あきらかに憲法を逸脱したものである。
 改憲草案の第45条は、そういう「経緯」を抜きにして「衆議院が解散された場合には」と書いている。内閣=首相(主語)が勝手に(不信任されたわけでもないのに)国会を解散するという一方的な「暴力」を許すことになっている。いま横行している内閣(首相)による民主市議の破壊を追認し、それを推進する条項である。「解散権」は、「内閣」の条項にふたたび出てくる。ここでは、その問題を「主語」を隠すことで、こっそりと忍び込ませていることになる。
 憲法は権力(内閣、首相)を拘束するためのものなのに、そのことが隠され、内閣(首相)が「主語」になって、国民を拘束するということが改憲草案で押し進められるのである。首相がかってに国会(衆議院)を解散できるのであれば、衆議院議員の「任期」はあってないに等しい。ある議員を落選させるために国会を解散するということさえできてしまう。内閣に人気があるうち解散し、野党の議席を減らす、内閣が不人気の場合は人気が回復するまで選挙をしない、という方法が横行することになる。
 実際、そういうことが、いま、起きている。
 きょうの読売新聞は「自民総裁選告示」のニュースと同時に、今後の「日程」について書いている。
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 政府・与党は、衆院選の日程について、10月26日公示、11月7日投開票を軸に検討を進めている。衆院議員の任期満了日(10月21日)以降の衆院選は、現行憲法下では初めてとなる。
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 任期が10月21日に満了になるのはわかっている。わかっているなら、任期が満了になる前に選挙をすべきだろう。なぜ、それができないのか。できないのではなく、しないのだ。いまは、菅が辞めたとはいえ、自民党の不人気がつづいている。ここで選挙をすればコロナ感染が終息しないことも影響して、きっと自民党は議席を減らす。その影響を少なくするために、選挙を先のばしにしているのだ。
 菅が辞任を表明したときは、国会を開いて、国会を解散させ、解散による総選挙というかたちにすることで11月28日まで投票日を延ばせる、ということが読売新聞によって報道されていた。コロナ感染がどうなるかわからないが、いまの感染者減少傾向がつづけば、自民党のコロナ対策は「成功した」という印象を生むことになるかもしれない。それを狙っているのだ。
 自民党の「議席確保」だけのために選挙(解散)が利用されようとしている。
 「衆議院解散の場合」「衆議院が解散された場合」の違いを見逃してはならない。

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