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『 賽の河原の人生 』

若干、まだ55歳にして、人生を語るというのは

烏滸がましくもあり、生意気なような気がする。


それでも、生い立ちから、現在まで

どう振り返っても、

いわゆる "普通" 或いは、"一般的"とは

言えない人生であり、

ある意味、ドラマ性に富んだ人生だとは言えるのであろう。


そして、今この時でさえ、

僕が積み重ねた石は、一瞬で壊されてしまった。

救いなのは、bar toricoという

僕の集大成ともいえるお店が残っていることが唯一である。


簡単に言ってしまえば、

13年間過ごした、やっと築けた自慢の

「家族」というものを、妻の意向により

離婚というカタチで失った。

きっと、僕が建てたのは、波打ち際の

砂のお城であったのだろう。


それでも、僕はここで人生を終わりにするわけにはいかず

生きなければならないのだ。


高齢で、認知症の母を置いて、先に逝くことだけは出来ない。

幸い母には、長年連れ添っている(35年以上)

内縁の夫がいてくれるのが救いである。


そして、僕はと言えば

中古で購入した家を出て、これから

30年ぶりの一人暮らしを始めるのだ。


何もかもを失った…

それが今の、正直な気持ちである。

僕は妻のことが好きであった。

一番の自慢でもあり、娘(連れ子)も

可愛いと思って過ごした13年という月日である。

まさか、信じていた妻から離婚を切り出されるとは夢にも思わなかった。

ただ、それは紛れもない現実であり

受け入れるしかないのである。


僕はまた、いちから

賽の河原で、また石を積み重ねていくしかないのである。

たとえ、またそれがいつか壊される日が来るとしても…。


今回の離婚問題の相談を含め、

一番チカラになってくれてるのは

川崎の兄(従兄弟)である。

自分の妹よりも、実の兄のように思えるのが不思議である。

あとは、義理の父。(籍が外れたので、もう義理の父でもないのだが)

それでも、僕の自立に、協力をしてくれている。

川崎の兄、元義理の父、母には、
ただただ感謝しかない。


そして、僕はまた明日から

ひとつひとつ、丁寧に、石を積み重ねていくのだ。

「とにかく、生きる」

この言葉が、今の僕のすべてである。

愛猫の、モモ、ムギ、にゃーすけと

お別れすることが何よりも辛い。


生きていれば、必ず希望が見える

ただ、それだけを信じて…。


ムギ
にゃーすけ
モモ

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