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『 残された者たちの役目 』

2021年7月〜2023年 の6月までに、

四人の親族が相次いで亡くなった。

最初に、伯父(父の兄)、伯母(父の姉)、

父の従姉妹の旦那さん(保科さん)、

そして、今年6月に父の妹の旦那さん(大滝さん)

…と、約二年の間に四人の親類が亡くなった。

そのたびに、連絡をくれるのが

僕の従兄弟(浩行)
(幼い頃からお兄ちゃんと呼んでる)である。

確か僕より8歳くらい年上で、

僕が南麻布にいる頃は、特に面倒を見てくれた。

なぜ、幼い頃 千葉の富津にいたのに

南麻布なのかというのは、後々書くが、

僕は小学三年から、中学三年まで南麻布で過ごし、

その頃、お兄ちゃんたち(伯父さん一家)は

麻布十番に住んでいた。(歩いて10分くらい)

父は4人兄弟の三番目で、

長男(兄)通称 川崎の伯父さん。
長女(姉)通称 狭山の伯母さん。
そして次男 宏
次女(妹)通称 相模原の叔母さん。

という、兄弟構成である。

なので、猪鼻性は、伯父(慶一)と父(宏)だけである。

さらに、現在の猪鼻性の男子は

浩行、康幸、龍之介(兄の息子)だけである。

話しを少し戻そう。

お兄ちゃん(面倒くさいから次から兄と呼ぶ)と、

ここ二年半、何度も電話のやり取りがあって、
(ほとんどが訃報だ)

話すことが多くなった。

兄は、僕と違い「猪鼻家」というのを

とても重んじて、血縁などにもこだわりがある。
(僕はとくにない)

その歴史にも詳しく、僕にも教えてくれるのだが

僕は一向に覚える気がない。

…と、思っていたのだが、父の歴史を知るにおいて

『猪鼻家』そのものにも、興味が湧いてきた。

僕は、実際に会ったことはないのだが、

あたりまえだが、その昔 祖父がいた。(父親の父のこと)

祖母は、なんとなく覚えているのだが、

祖父は、顔も、名前も、そもそも"何をしてた人なのか"すら知らない。

何故、今まで聞こうと(知ろうと)しなかったのだろうか?

ハッキリ言って、考えたことすらなかった。

ふと思って、兄に電話をしてみた。(兄は川崎市宮前区にいる)

「おぉ どうした?ヤス」

「あのさ、親父のお父さん、つまり祖父さんてどんな人だっての? オレさ、まったく知らないんだよね…。」

ここから、猪鼻家の歩みについて知ることとなる。

長くなってきたので、

この話しは次回。

追伸 この話は、かなり面白いですよ。

横須賀美術館での、アール・ヌーヴォー展

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