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『 雇われマスターから、経営者へ 』

順調に、お客さんも戻り、同時に新規のお客さんも増えて

二年の月日が経った。

ここで、また新たな展開が始まる。

オーナーからの提案で

bar Come Onを自分で経営してほしいとのこと。

専門用語でいうと、独立採算というのだが

お店そのものを、僕自身が借りて

家賃、店舗賃料、光熱費等々、すべてを僕が払い、

給料を貰うのではなく、経営者として

独立するのだ。

一日、考える時間をもらい、結局は承諾することにした。


これで、雇われから、オーナーに変わったのだが

当然だが、その分の負担や責任がかかることとなった。


結論からいうと、その選択は

自分にとって、自信にもなったし

マスターであるという自覚も出来た。


bar Come On は、雇われが2年

オーナーとして、10年

計 12年を、Come Onで過ごした。


その後、移転をして、現在の

bar torico 開業に至るわけだが、

すべて木更津市内での話であり

詳細を書くと、弊害があるかもしれないので

ざっくりと書いて、終わりとする。


ちょうど、10年前の今頃である

店舗オーナーの、O氏から、

信じられないような要求、提示をされる。

簡単に言えば、自分の息子が
この店をやりたがっている。

だから、三月いっぱいで、ここを出て行ってくれとのこと。

きちんとした話し合いではなく

一方的な要求であった。

前々から、親バカぶりは気にはなっていたが、ここまでくると

これはもう正気の沙汰ではない。

立ち退き料、支度金などなく、

ただ、一方的な立ち退き要求だ。

これには、温厚は僕も(ホントかよ)

憤り、心身を病み、弁護士などにも相談して

正当な立ち退き料を請求した。


何度かの話し合いで出た結論は

立ち退くことにした。

理由は簡単。

このひとたちと、これ以上関わりたくない。である。

微々たる、迷惑料?支度金?だけ貰った。


自分にも落ち度はあった。

店舗名義をそのまま変えずにいたのだ。

オーナーのことを信じていたので、

こんなことが自分の身にあるとは夢にも思わなかったのだ。

光熱費、家賃、店舗賃料なども、

すべて、手渡しにしていた。

自分名義の口座でやり取りすべきだったのだ。

まあ、どちらにせよ、関わらないと決めた以上、

答えは一緒だったのかも知れないが…。


三月末の、最後の営業日、

たくさんのお客さんが閉店を惜しんで来てくれた。

翌日、荷物を運び出し、最後に鍵を閉めるとき

僕は、この上もない、惨めさを感じた。

猪鼻康幸 45歳の出来事である。


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