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私の光る君へ〜大河ドラマ『光る君へ』27話・宿縁の命(見逃した方もどうぞ)

    石山寺、回廊、夜。扉を開けて、呼び寄せられたように現れる柄本佑(道長)。驚く表情の艶やかな吉高由里子(まひろ)。タイトル
 999年、二月(春)のはず。
 まひろと道長は、近況と苦労を語り、労わり合う。道長は天下人となった苦闘、まひろは越前の事、宋語。
 「越前には美しい紙がございます。私もいつかあんな美しい紙に、歌や物語を書いてみたいです。」「戻って来て良かった。」
 いったん別れかけて、振り返り、抱き合い、結局臥所を共にしてしまう二人。「俺のそばで生きることを考えぬか」「お気持ちうれしゅうございます、でも…」「俺はまた振られたのか」。
【大河とは思えぬ、でも平安時代だったからこそ、のラブシーン…。歴史的にはあり得ない…左大臣がお付きもなしにそんなこと…】

 桜が満開になる頃。定子(高畑充希)の懐妊が明らかとなる。
 大喜びの一条帝(塩野瑛久)は「私は子を産むことなど許されない身です。」と言う定子に「安心して良い子を産め」と言い、清少納言(ウイカ)にも「よろしく頼む」と言う。

 道長は爪をかみかみ、生まれてくる皇子への対応を考えている。
 彰子(見上愛)は、猫をお膝に、相変わらずの無表情。そこへ待ってましたの、母・倫子(黒木華)と、元々倫子の先生だったエモン=赤染衛門先生(凰稀かなめ)の登場。以前は、平安文化学習だったが、今回は「宮中に彰子サロン」が目標の倫子の、昔とは違う気合の入れように対し、エモンはかなり笑わせてくれる。
 彰子に「明るさと艶」が欲しいと倫子。「それはなかなか難しい」とエモン。艶をといわれたので、「閨房の心得」は一通り教え、姫様は意外と興味が…なんて言ってる(笑)~チガウと思いつつ、そこの場面見たかった。倫子に叱られ、「このお役目、私の任ではございません」って。で、誰が出てくるのか。やはり和泉式部?最終兵器が紫式部になるのかしら。

 足が遠ざかっていた宣孝(佐々木蔵之介)が、賀茂臨時祭の人長(舞人)、宇佐八幡宮への奉幣使、に任じられたと、まひろの屋敷にやってくる。(3月か4月?)
 たくさんのお土産。「もったいのうございます」とまひろ。いぶかる宣孝に「心を入れ替えました」と。どこか落ち着いた夫婦らしい会話。
 夜、書き物をするまひろ。
「殿の癖、あごを上げて話す。酔って寝ると、時々息が止まる」
【サスペンスかと焦るが、一応の伏線。】

 夏の気配。つわりをいと(信川清順)に指摘される、まひろ。いとが数えて、殿さまの子ではない。でも「このまま行けるところまで行くのですよ。」それができないまひろ。
 夜半、宣孝に向かって「殿、お別れしとうございます。この子は私1人で育てます」と言い出す、まひろ。

 ここからが、越前の求婚の時と同様の、佐々木蔵之介氏の包み込むような、言葉の重なり。
「そなたの産む子は、誰の子でもわしの子だ。一緒に育てよう。それで良いではないか。」
「わしのお前への思いはそのようなことで、揺るぎはせぬ。何が起きようとも、お前を失うよりは良い。」
~キュンキュンはここまで~なんか素敵。

 「その子を慈しんで育てれば、左大臣様(道長)は、ますますわしを大事にしてくださろう。この子はわしに福を呼ぶ子やもしれぬ。」えっ❢
「一緒になる時、お前は言った。私は不実な女であると。お互いさまゆえ、それで良いとわしは答えた。それはこういうことでもあったのだ。別れるなどと、二度と申すな」。
 いくら千年前でもこんな男いるかしら?

 彰子の入内用の屏風。
 公卿たちに歌を献じるように言う道長。実資(秋山竜次)だけは「先例がない」と応じてくれない。花山院からも歌が届く。
 完成した屏風を、覗き見に来た実資を、応じなかったことによって褒める道長。屏風は、道長の権力を、一条帝に示すことになる。
 現在、公任(町田啓太)の歌のみ、栄花物語によって伝わっている。
紫の雲とぞ見ゆる藤の花 いかなる宿のしるしなるらむ
 【藤原氏を代表する姫として「彰子」を讃えている。】

 11月1日彰子入内。
 11月7日定子、敦康親王を出産。
 矢をつがえずに弓を射て、邪気を払う「つるうち」をする、伊周(三浦翔平)と隆家(竜星涼)の二人が、雅やかでかっこよく、本当にうれしそう。
 皇子誕生を、こちらも道長には甥で、帝より年上の東宮・居貞親王(木村達也)に伝える、道長。居貞の出方を探っているのだろう。
 伊周と隆家が、まだ産褥の床の定子の近くで会話。まだ名もない皇子が東宮になればと、焦る伊周を、「焦ると良い目は出ない」と制する隆家。「けんかしないで」と止める定子。
 【皇子誕生が内裏を揺るがす事件であることを示す場面】

 息子の帝に、皇子誕生の祝いを自ら伝えに来た、皇太后・詮子(吉田羊)。
 言葉のやりとりの行き違い。この場合帝の母親への怨念が深すぎる❢自分は父親・兼家の操り人形であったという詮子に、帝は「朕は母上の操り人形であった」と言う。孤独のどん底に沈む詮子。
【なんだかんだ言って、帝の幼さが目立つ。】
 
 皇子誕生と同じ日、彰子に女御宣下。
 母上の顔をたてに、女御の顔を見に来た帝。例の屏風に反発心を強めたような横顔。
「そなたのような幼き姫に、このような年寄りですまぬな」あぁー嫌味。
 道長はじめ、居並ぶ公卿たちにも重苦しさが漂う。
【19歳の帝が、本当にそう言ったらしいので、満11歳の彰子は可哀そう。】

 運が傾きかけているとぼやく道長に対し、晴明は、傾いていない、女御になった彰子を中宮にすればと提案。
 道長は「一人の帝に二人のきさき=后なぞありえぬ」と拒否するように言うが、晴明は「やってしまえばよいのです……一帝二后は彰子様のお力をより強めましょう。左大臣様のお体も回復されます」と告げる。
【道長が、父や兄のように悪辣になっていくところを、晴明に責任転嫁❢】

 師走。
 乙丸、福丸が祈る中、まひろは女児を出産。
 どうなることやら。


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