支援級はいらないんじゃない。

いっしょじゃだめなの?

って思うことが多かった。私はいわゆるLDで昔で言うと知恵遅れ、と呼ばれていた。「やっちゃんはいつも笑ってていいよねー」と言われる事が多かった。これが嫌味だと気が付いたのは大人になってから。

でもその頃は支援級なんぞはなくて、「うんこ食べれるんだよ」なんて言われたり、子ども達にはいろんなこと言われてたな。

でも、皆が話しかけてくれるのがうれしかった。一緒にいることが、うれしかった。

逆上がり、二重飛び、ダンス、掛け算九九、分数、小数点。まったく四次元の世界だった。

ただ唯一できるのは買い物。家の仕事(料理、洗濯、掃除、片付け)

小学校の酒井先生が言った。「やすえちゃんはバカじゃない」

「だって毎日買い物ができる。買い物は算数です。1000円札を持っていくつも買い物ができる。」

この時初めて褒められる事がうれしいのだな。と知った。

中学、高校は地元にある名前を書けば入れる学校に入った。

支援級って何だろう。一緒に過ごせないハンディを持っている子がいるのだろうか?一緒に過ごせないのは大人の都合。子どもは自然に受け入れる。勉強が出来ないのは理由がある。興味がないのだ。アプローチの仕方でできるようになる。学者レベルにはならないかもしれないけど、私のように日常生活にはことかかないようになる。毎日楽しく過ごす事が、今の世の中なくなってきてしまっているのかもしれない。

毎日を楽しく過ごす。ただこれだけなのに・・・・

支援級作って隔離して、生産性、効率・・・何を求めているのだろう。

支援級とか言って支援してないし。支援でその子たちの特性を見抜いてそれを伸ばして将来その子達がどんな事をして生きていけばいいのかを学ぶ場だと思う。学校ってそういう場だと思う。それが社会につながっていけば、「やまゆり」事件は起こらなかったと私は考える。

分け隔てなく、なんて言ってるけど、分け隔てしているのは私たち大人。

どうしたらいいのかわからなくて発信してみた。

支援級はいらない。同じ思いの人っていないのかな?これは支援級だけの話ではないよ。将来の世界の話。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?