継続性の二つの軸

継続性の二つの軸

先日、各国で頑張る隊員とオンラインで話していた時のこと、

「継続性という言葉に縛られて悩んでしまう」と。

誰もが経験しているだろうが、
現地では、先生たちの遅刻、欠席、授業中にご飯を食べる、体罰、などあるあるである。

給料も驚くほど低いから、モチベが上がらなくて当然とも言える。
そして、指示されたことを的確に、文句も言わずに遂行できる日本人の方が世界的に見たら、よっぽど珍しいのだと思う。

「活動を頑張っているのに、全然先生たち(配属先の方達が)が一緒にやってくれない。」
は、あるあるではないだろうか。

私たちは一生派遣された任地に居られるわけではない。
となると、活動を継続的なものにしたいのであれば、現地の人を巻き込んでやっていくことが不可欠のことのように思える。

しかし、私は、継続性には二つの軸があると思っている。

一つは、今からの軸

教育の現場であれば、
今、教育に関わっている人たちに、技術を伝える。
私から、先生方に技術を伝え、実際にやってもらう。

二つは、未来からの軸。
これは、未来に、教育に関わる可能性のある人たちに、芽を残すこと。

例えば、私の要請内容は図工であるが、
今は、情操教育、お互いを認める、尊敬し合う、楽しく学ぶ、自由につくることの意味なんて、価値なんて、子供たちには理解できないかもしれない。楽しくやってくれたらOKだ。
しかし、大人になった時、ましてや先生になった時、大学の教職課程の授業で「情操教育」という言葉を学んだ時、「あ、カイセがやっていたあれじゃん!」ってなるかもしれない。
親になって、「色鉛筆を買って」と子供にねだられた時、「あ、カイセがやってくれた図工の授業、楽しかったもんな。買ってやるか。」ってなるかもしれない。

経験は、いつ花を咲かせるかわからないけれど、
大切に蒔いた種、育てた芽は彼らの中にきっと残ると思う。

魚民の店長山崎さんが、
「先生たちに今言われたことって子供はすぐに理解できなくても、いつか繋がって分かる時が来ると思うよ。」
って言ってたもの。

そして、今の先生たちを見ていると先生たち自身経験がないからできないことがものすごく多いなぁと感じる。
先生たちが子供の頃に、私たちのような人がいたら、二つ目の軸である継続性の芽はすでに花を咲かせていたかもしれない。

だから、何か行動をしている限り継続性になっている。私はそう思う。

あなた、頑張っている。

追記
自分は人と比べがち、落ち込みがちなので、他の協力隊員を見ていると、ああ、すごいことしている…自分にはできんよ…と初期の頃は落ち込みがちだった。
今SNSとかいう洒落臭いものが溢れているし。

でも、これを読んでいる人でもし自分と同じように落ち込んでいる人がいるとしたら伝えたい。

私は彼らを兄弟だと思うことにした。

だって、兄弟が活躍したら、嬉しいし、くっそー私もがんばろってなるから。僻みや嫉妬じゃなくて。兄弟だから。
しかも、全員が世界をよくしたいって思って動いている兄弟。

だから、私の知識や感情の共有もどこかの兄弟の役に立てばと思っている。

でも、比べちゃうときもあると思う。それもいい。

おしまい

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