安野光雅さんのこと
12月24日に安野光雅さんが亡くなった。
さまざまな追悼記事がでているなかには、私の愛読書である安野光雅著「絵の教室」を取り上げている記事が見つからなかったので、その本がどのような本なのかということを書いてみようと思う。
「絵の教室」とは、絵を描くということ、絵をどのようにして描けばいいのかと言うことを、細かく丁寧に教えてくれる本である。
自分の経験を話すと、私は本格的に油絵を描き始めたのが高校一年生なので、本格的に絵を描いている経験はざっと40年になる。
山村の中学校に通っていた私は、美術大学といえば、東京藝術大学しか知らなかった。病気のために2度目の中学3年生を送っていた時に、東京藝術大学に入るためには勉強もできないといけないと親に言われ、地元の進学校に奇跡的に合格した私のたった一つの願いは、絵を習いにいくことだった。父は、油絵の道具を買ってくれ、都会にある芸大予備校に入れてくれた。
そこでは、石膏像の木炭デッサンをとにかく描いた。木炭デッサンに使う棒は、柳の枝を炭にした棒の中心にある柔らかい粉になったところを、自転車のスポークで抜く作業が必要だ。あまりにも没頭したためか、やがてわたしの肺には白い影ができ、医者からは「炭鉱で働いているのか?」と笑われた。それでもやめずに描き続けたら、木炭デッサンはもういいと言うことになり、油絵を描くことになった。
ところが、木炭デッサンの時は、事細かく指導してくれていた先生は、油絵になると「好きなように描けばいい」としか言ってくれず、高校の美術の先生も何も言ってくれず、その後の油絵人生において、どの先生からも「このように描けば?」と言う言葉をかけていただいたことはなかったのである。
好きなように描くのは楽しいが、上手くなることに繋がるとは限らない。様々な本を読んでみたが、いまひとつである。
私は、全く、路頭に迷った絵描きだったのである。
そんな私に手を差し伸べてくれたのが、この本である。
まずは、安野先生から10問の宿題が出る。1問を完成させるのに1時間くらいかかるので、1日では無理である。気長に諦めずにやり続ける。ひとつひとつはそんなに難しくないけれど、やってみると、完成作品に不満が出る、また描き直す、と言うことを繰り返すと、1ヶ月くらいはかかったのではないか。
そして宿題を終えた読者に対して安野先生は、「絵」を描く喜びから「絵」の本質まで、優しい言葉で教えてくれるのである。
遠近法の実験をした章がある。その中に「個性」について次のような記述がある。
『写真のように描いたり、あるいは写真を見て描いたりするとダメだと思うのです。その人の個性がどこかへ行ってしまって、写真のように描かされてしまい、上手だけども何も伝わってこない、となりがちです。』
私は、なんでも直接的に考えるので、遠近法を学び、正確に書くことができるようになっても、それだけではダメ、ということかな、と思った。でも、次のような文章も出てくるので、再び考えさせられた。
『好きなように描けばいいんだと悟り、外国の町や、人の見ているところでは「僕はもともと下手なんだ、頭も足りないんだ、絵が好きなだけなんだ」と、自分に言い聞かせます。そうして、世間の目の中でまったく自由な世界を創って、その中で描くのです。その頃から描くことがより楽しくなりました。これは、いわば悟りでした。これは絵を描く方法論の中では最高に難しく、また、実に楽なことでもあるのですが、わかってもらえるでしょうか。』
この言葉は、どのような態度で絵を描けばいいのかを教えてくれた。そして、その上で「よく見て描く」という章に進んでいく。まずは、マインドを、そしてテクニックを学ぶという順番である。最初に花を、次に自転車を描く。自転車はよく描かれる素材だが、正確に描くにはかなりのテクニックが必要である。そして、最後に自画像を描くところまで安野先生は導いてくれる。この本は、写実と創造の関係について、学んでいく1冊である。そして、個性とな何か、絵を描くということはどのようなことなのかを、遠くて高いところからではなく近くで寄り添って教えてくれる。
安野先生の言っていることは、私が考えていた「個性」というものにどんどん近づいてきていた。そして、言葉にしないと考えていたことすら思い出せないことを思い出させてくれた。
この本は読むだけではわからない、安野先生の宿題を解いてみないとわからない真実が見えてくる。実はこの本は、本のふりをしたワークショップなのだ。私は何度もこのワークショップを受けたい。繰り返すことで、また、見えてくることが違ってくる。
安野先生が亡くなっても、私が絵を描き続ける限り、先生は生きている。そしてこんな読者が日本中にいるのだろうと思うと、やはり嬉しく感じるのである。
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