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ダメ男の野球こぼれ ♯16 ~たかされ~

今週の阪神タイガースは1勝2敗。眼下の敵である巨人に負け越したんだから、何やってんだ、と思われるかもしれません。

しかし間違いなく、ひとつ勝てたのです。このゲーム差での1勝の価値は計り知れない。そういう意味で、負け越したことよりも「値千金の1勝」と思っているわけで。
つまり、アタシ的に言えば

たかが1勝、されど1勝

なんですよ。

さて「たかが野球、されど野球」という言葉があります。
今では何故か野村克也の名言扱いにされることが多いみたいですが、最初にこの言葉を吐いたのは、というか著作のタイトルにもなっているんだけど、池田高校の元監督である蔦文也の言葉です。
「たかが○○、されど○○」という慣用句は昔からありますが、野球という大多数の日本人にとって「スポーツを超えた、なにか」の形容として、これほど相応しい言葉もないと思うのです。

おそらく蔦文也の言葉を受けた形で現役引退直後の江川卓が「たかが江川されど江川」を執筆し、それが「実録たかされ」というタイトルで漫画化もされた。
いつの間にか「たかが○○、されど○○」という言葉は野球関係の言葉になってしまったというか。
実はこういうのは珍しい。逆、つまり野球関係の言葉が一般的な慣用句になったケース(「首の皮一枚つながった」や「筋書きのないドラマ」など)もそんなにあるわけじゃないけどね。

たぶん、野球に興味のない人にとって、まァ「あんな棒遊び」は言いがかりだとしても、そこまで熱くなるほどのモンかね?とか、「プレイボール!」って始めるわりには遊びの要素がなさすぎね?という意見はわかるんです。
しかし「遊びだからこそ本気でやらないと面白くない」というのもわかる。
たとえばかくれんぼや鬼ごっこなどの子供の遊びでさえ、全員が本気の本気になれば面白いし、ひとりでも冷笑するような人間がいれば、一気に面白くなくなる。

この「死にものぐるいになる<遊び>」の価値がわからない人には野球に限らずスポーツ全般の面白さなんかわかるわけがないと思うんです。
だからね、野球に限定しちゃうから狭くなるって話でして、正確には

たかが遊び、されど遊び

なんです。
話が逸れるようですが、赤塚不二夫やタモリが限界まで無茶苦茶な<遊び>をやっていた、とかクソゲーと名高い「頭脳戦艦ガル」とか「トランスフォーマー」を死ぬ気で遊んだりしたのと同様、遊びってのはな、内容がどうとか、ルールがどうとかじゃないんだよ、どれだけ本気かで面白さが決まるんだ。
本気になって遊んでるヤツを、上から目線で冷笑するなんて、それが一番人生をつまらなくしていることに気づいてないんだ。

ま、えらく話が大風呂敷を広げたみたいになってしまいましたが、スポーツの面白さ、野球の面白さは結局「何でそこまでやる必要があるのか」ってところだと思うんです。
それで死ぬわけでもないのに、支えてくれたスタッフのため、チームのため、チームメイトのため、ファンのために根性とかを超えて<死にものぐるい>になる。だから多くの人の気持ちを熱くさせるんだと思うわけで。(だからアタシはeスポーツという言葉に違和感があるんだと思う。てな話はまた今度)

たとえば金本が骨折しながら片手でヒットを打ったり、日本シリーズで今岡がセーフティバントをしてヘッドスライディングをしたり、横田慎太郎の奇跡のバックホームもそうだけど、アタシが野球を見て泣いたシーンはことごとく「何でそこまでやる必要があるのか」と思えるシーンなんです。

アホやん。アホすぎるやん。何でなんや。何がそれほどまで気持ちをかき立てるのかわからん。たかが野球やん・・・。

でも、きっと彼らの中ではこういう気持ちがあるんだと思う。

されど野球だから。

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