自分史振り返り④中学生編

こんにちは。ヤブハニです。
最近体調崩しがちです。あまり熱とか出さないのですが、ここ1か月で2回も体調崩してしまいました。

さて今日は、自分史振り返りの中学生編です。この辺から、記憶が多いこともあり、人格形成されてる感をかんじることができます。

コンプレックスを育てた学校生活

学校生活は、人とうまくコミュニケーション取れない自分と向き合った時間でした。仲良くなれば、まあ普通に話せるのですが、どうしたら仲良く話せるのかが分からなかったです。

部活に入らず帰宅部

ここが大きかった気もするのですが、中学では前提として帰宅部でした。野球はボーイズリーグという硬式野球のチームで続けており、敢えて部活に入る必要性を感じなかったからです。

また、リトルリーグが中1の夏くらいまであることも影響してました。中1の夏まであることで、4月の部活入部のタイミングを逃しました。この結果、皆と0ベースで仲良くなれる4月の部活に入るタイミングを逸し、仲良い人達の集団に飛び込む必要が求められるようになります。

死ぬほど超ド級の人見知りであった私は、できている輪の中に入ることはできず、部活に入ることを躊躇、入らないという選択をしていきます。

他の小学校の子もおり、陽キャチームとなじめず

部活以外のところで言うと、こちらもめちゃくちゃなじめたわけではないというのが印象です。

毎年クラスが変わったのですが、毎年クラスに2~3人仲良いいつも話す子がいたという感じです。一方で、いわゆる陽キャと言われるような部類の子たちとは、あまりうまく絡んではいなかったかなという思い出です。

中学で他の小学校と合流したことで、他の小学校出身のメンバーとも仲良くしないといけなくそれがどうにもできなかったです。

また、女子とはほぼ一切話せず非常にもったいないことをしたなあと思っています。笑

人生を変えるきっかけのボーイズリーグでの野球活動

野球は続けたが、チームではうまくなかった

小学校からずっと続けていた野球を中学でも続けることになりました。
リトルリーグを中1の夏に対談後、ボーイズリーグに入りました。

このボーイズがとにかくきつかったです。身体的/精神的にあそこまで追い詰められたことは、後にも先にも無いですね。今後もそうであることを祈ります。笑 元プロ野球選手のおじいちゃんが指導者でとにかくキレると手が付けられなかったことをよく覚えています。

やばめエピソードを覚えている範囲で羅列します。

  • 5時間立ちっぱなしで、怒られる。親も隣で一緒に怒られる。

  • 試合で負けると終わりなきランニングの旅へいざなわれる。何周で終わるかわからないので、メンタルが辛い。

  • 午前中の試合で負けるとお昼ご飯抜きになる。午後も負けるとそのままポール間ダッシュをさせられる。私は一度このパターンで走りながら倒れました。あの時食べたおにぎり本当においしかった。笑

  • 誰かが練習でやらかすと、ベンチの前に並ばされて、順番にトレーニング用の金属の棒でお尻を叩かれる刑が執行される。1人腕出して骨折していました。汗

他にもある気がしますが、こんな感じでとにかくきつかったです。こんなに辛い思いしているのに、レギュラーになれる気配もなく、何のために土日通っているのか分からない時代でした。色んな意味で辛かったです。

人生で最初の暗黒期

ここまで書いてきたように学校では、あまり目立たず友達も多くないという状態でした。並行して、野球もただ辛いだけでレギュラーでもないという状態でした。

この時、私は自分のアイデンティティをどこに置けばいいのか困っていたと思います。何とかボーイズリーグにいるという事実だけを頼りに自分は野球がうまい、人と違うと思ってみたりしていました。

どうしても自我を規定しようとすると「人との違い」を意識せざる得ないことに無意識に気づき、他者との間に線を引くことに必死になっていました。

そんな中、新しい線の引き方を覚えることができるきっかけとなった出来事を迎えます。

監督の言葉がきっかけで勉強に目覚める

通っていたボーイズリーグの監督(さっきの元プロとは別の人)がある日の夕礼でこんな発言をします。

勉強はやっていた方が良い。なぜなら、将来の選択肢が広がるから。将来、急に医者になりたいと思ったとして、まったく勉強してこなかったらその時に積んでしまうでしょう。自分が将来やりたいことなんて分からないんならなおさら勉強はやっておきなさい。

この言葉が当時の自分に妙に刺さりました。これを機に私は、勉強に目覚めます。毎日のように教科書を読み込みテストの対策をしていたことをよく覚えています。そして勉強はやればやるほどすぐにその成果が点数に現れます。

やった分だけ簡単に点数が上がっていく仕組みにゲーム性を感じ、ドーパミンをドバドバ出しながら毎日勉強していました。

そして成績も上がっていきました。この事実が「自分は人と違う」というアイデンティティ、プライドの確立に大きく寄与していきました。

自分は特別なんだと思うことに必死だった

中学3年間は、辛い野球と面白くない学校生活に、楽しい勉強という3年間でした。イロコイ沙汰はなかったですねえ。

そして書いてみて改めて強く思ったのは、「俺は人と違う」というアイデンティティを必死に確立しようとしていた3年間だったのだなあと思います。。今だから平たく言語化できますが、自分は人違い特別で、優秀なんだということを自分の中で必死に証明しようとしていた時期でした。

学校生活と言う意味では、クラスでふざけている人やあまり話したことない人間を勝手に、しょうもないと決めつけ、心の中で下に見ていました。

ボーイズの監督がきっかけで、勉強できるようになってからは、「ホレ見ろ、やっぱり俺は優秀だ。」ということが証明できたように感じて気持ちが良かったのだと思います。

野球という意味では、ボーイズ内では全くうまく行かなかったです。一方で、ボーイズに所属しているという帰属意識で部活の皆より俺はうまいというプライドを確立していました。

とにかく「人と違う優秀な自分」を証明し、自分の存在意義を見出したかったのだと思います。今思えば、とても褒めてくるタイプの両親でもなかったので、家庭も自己肯定感を維持する場にはなりきれなかったという点も当時の心境の根源としてはあるのかもしれないです。

このように自分は人と違わない可能性があるというコンプレックスを磨いていき、何とか自分が人と違うところを見つけようとしていたのだと思います。非常に本能的な動きですね。

私が大好きなBiSHの一番好きな曲がMy distinctionという曲です。この歌のサビの歌詞に以下のような部分があります。

人のこと けなしては 口に出せず
あの子ずるいとか 思ってたらきも
一度きり この日々を やりきってやるって決めて
時計の針は回る 今日もね

BiSH My distinction

まさにこの歌詞の通り、口に出さずに人のことけなしていたのが私です。当時は、そのことがきもいとも思わず、ただそんな自分で必死でした。

色々と自分なりに行動できていた点は評価に値する部分ではあったのかもしれませんが。ボーイズに入ったり、勉強毎日やったりと何かとアクションに落とし込んでやろうとするあたりは、自分の強みなのかもしれません。

まとめ


目的に沿ったの振り返りと来週の予告です。

振り返り

楽しんで書くことができたか。特にどの辺?

昔の自分の心境を思い出し、楽しんで書くことができた。とにかく自己肯定感を保つ為に必死だったことがよくわかった。

自分の価値観として浮き彫りになったポイントは?メタに考えよう

・人と違う自分で居たいという想いが強そう。中学の時は、それが社会が規定する優秀さというベクトルに振り切って考えていたっぽい。
・何か思ったらすぐ行動するという点もありそう。

人生がうまく行っているときだったかうまく行っていない時か?理由は?

どちらかと言うとうまく行っていない時期でした。野球も学校も苦しみ、自己肯定感のありかを探すために、人を蔑み暗い気持ちで過ごしていたのだと思う。

↑を踏まえても踏まえなくても学びはなんだったか?自由に書く

自己肯定感を求める自分と言う点が言語化できてよかった。あの頃の人を馬鹿にしていた気持ちは、自分という存在を否定しないためだったのではないかという仮説が立った。このコンプレックスが原動力になり、色んな事を一生懸命取り組めていたのかもしれない。
他者を規定する中で、自分を確立しようとするのは仏教の世界でもある考え方みたい。他者の既定の仕方が良くなかったのかなと思う。
ちなみに、このコンプレックスは今も続いている部分はあるかもしれない。昔みたいにさげすんだりはしていないが、自分なりの尺度で自分のオリジナリティを確立しようとしているのだと思う。

来週予告

来週は高校編の予定です。

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