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丘珠空港の滑走路延長(その1)これまでの推移

丘珠(おかだま)空港ともいわれる自衛隊と民間の共用飛行場、告示されている名称は「札幌飛行場」です。この丘珠の飛行場とは別に、終戦までは北24条付近に「札幌飛行場」があったので混同しそうですが、この記事で「札幌飛行場」とは、丘珠空港のことです。

(防衛庁告示で「札幌飛行場」になったのは、昭和33年12月)

いまの丘珠空港の滑走路は、長さ1500メートル、幅45メートルです。この長さの滑走路で離着陸できる航空機は限られるため、数年前から滑走路の延長を軸に丘珠空港の利活用について検討が続けられてきました。そしてことし2022年の6月、丘珠空港の滑走路を1800メートルに延伸する案がまとめられたので、滑走路の延長について(まったく個人的に)検討してみることにしました。

今回の(その1)では、何度か延長されてきた滑走路の長さの変遷について、国土地理院の空中写真を見ながら考えてみます。

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旧陸軍航空隊によって丘珠飛行場が設置されたのが、1942年(昭和17年)9月のこと。

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▲ 国土地理院 空中写真(1948年8月30日撮影)

この写真が撮影されたのは、終戦から3年後の昭和23年夏。米軍が撮影した現在の札幌飛行場(丘珠空港)の場所です。滑走路は写真の北西~南東に伸びている長方形で、その長さは1200メートルありました。

自衛隊や航空局などの資料では、このころの滑走路長は1000メートルとされていますから、少し内側の部分を滑走路として使っていたのでしょう。幅の広い1200メートルは着陸帯のように考えればいいのかも。


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▲ 国土地理院 空中写真(1966年7月23日撮影)

次はこの空中写真、昭和41年の夏に撮影されたもの。現在の滑走路の形にかなり近付きました。滑走路を北西方向に延長したようです。

この写真撮影の1年と少し後、昭和42年11月に滑走路長1000メートルから1400メートルに延長された、とあります。ということは、この空中写真が撮影されたときは延長工事中だったんですね。滑走路のマーキングもすでに新しくなっているのに、まだ1400メートルは供用開始されていなかったことになります。黒々とした民航エプロンは舗装したてのようで、航空機が1機、駐機しています。


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▲ 国土地理院 空中写真(2020年9月29日撮影)

国土地理院の空中写真で最新のものは、令和2年9月撮影の札幌飛行場です。南東方向に滑走路が100メートル延長されて1500メートルになったのは、2004年(平成16年)3月のことです。そのときエプロンも拡張されました。

いま、滑走路の両端方向と北東側には緑地が整備され、市民がくつろげる場所になっています。また、不幸にしてオーバーランやアンダーシュートが発生した場合でも、この敷地の余裕は安全マージンになるでしょう。見方によっては、さらなる滑走路延長の含みを持たせた緑地整備…と言えるのかもしれません。

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2022年(令和4年)6月、札幌市は「丘珠空港の将来像(案)」を取りまとめ、公表しました。札幌市議会の総合交通政策調査特別委員会(6月6日開催)にこの案が示されたようです(市議会の会議録検索システムでは、7月23日現在、いまだ委員会録の閲覧にヒットしません。遅いっ!)。札幌市のウェブサイト内「丘珠空港の利活用検討」でその案や検討の経過などを見ることができます。

この将来像(案)を実現するために必要な取り組みとして、「滑走路の延伸」が明記されています。現在の1500メートル滑走路のままで利活用を進めることについては検討されていません。滑走路長1800メートルと2000メートルの両案を比較検討し、最終的に「300メートル程度の滑走路の延伸を国に要望していく」としました。つまり、1800メートル程度に滑走路を延伸したいという検討結果です。

滑走路を延ばす…と単純に言っても、滑走路の両端付近で舗装工事をすればよいというものではありません。航空機が安全に離着陸するためには、法に定められた空の広さを確保する必要があります。飛行機の騒音などを心配される方も多いのでしょうが、もっと大きな問題になるのでは…と私が危惧するのは空の広さの確保、つまり物件の高さ制限です。現状ではクリアしていても、滑走路の延伸によって制限表面を逸脱することになってしまう物件が生じるのではないでしょうか?

次回から、その「制限表面」について調べてみることにします。


※ 空中写真3枚の出典は、国土地理院の地図・空中写真閲覧サービス
※ 冒頭の写真は、2022年7月、やぶ悟空撮影


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