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赤いボルボを思い出したのは…

先月、高橋幸宏さんが亡くなった。

イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)の曲は、音楽に疎い私でもこれまでと全く違う衝撃を感じ、無条件に かっこいい! と刺さった。年齢だけは近い世代なのだけれど遥か彼方で輝いている若者たち、その一人がユキヒロさんだった。

それからいつしか数十年、休日の朝のラジオからユキヒロさんの声が流れていることに気付いた。優しくてとても穏やかなオジサンの語り口に、こんな雰囲気の人だったのかとちょっと驚いて、勝手に少しだけ距離を縮めた。聞き続けていると、ユキヒロさんはかなりの釣り好きらしかった。釣りに興味のない私だけれど、ユキヒロさんの語りが待ち遠しくなっていた。

数年経ったころかな。本屋で、ユキヒロさんと最新のボルボが表紙を飾るクルマ雑誌を見つけた。釣りの足としてボルボを何年も乗り継いでいるらしい。ユキヒロさんとの距離がさらに近付いたように感じたのは、少しばかりだけれど私もボルボに乗っていたことがあったから。

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私が古いボルボを持っていたのは、1999年から2001年だったはず。

首都圏勤務の数年間は車を手放していて、その後の転勤先でも必要なときだけレンタカーを借りてしのいでいた。車を持てばもっと気軽に家族と外出できるよな。ちょっと相場観でも見てみようかと出かけた春の中古車フェアで、赤いボルボ740エステートを衝動買いしてしまったのだった。

VOLVO 740 GLE ESTATE

コマーシャルのせいだろう、ボルボは頑丈で安全というイメージを持っていた。予期せぬ事故に遭遇しても、妻と小学生の娘はもちろん、まだまだ働き続けなければならない私自身も守ってくれる車がいい。ボルボと言えばエステート。そしてステーションワゴンが大好きな私。弓道有段者である妻の弓をゆったり積める荷室の長さも購入理由にこじつけた。

10年落ちの輸入車、しかも衝動買いできる価格という不安はあったが、2316cc直列4気筒DOHC16バルブエンジンは気持ちよく回り、2770mmの長いホイールベースとゆったりした大きなシートは、家族を快適に運んでくれた。全長4.8メートルもあるのに最小回転半径わずか5.0メートルという驚異の小回り性能と、大きな窓がもたらす広い視界のおかげで取り回しに苦労した記憶はない。

でも、夏になるとエアコンに不具合が現れた。初めは冷気が出てくるが徐々に冷えなくなる。ボンネットを開けるとコンプレッサーが真っ白になっていた。しばらく冷房オフにしておけばエンジンの熱で霜が溶け、また冷えるようになるのだが、その間は窓を開け、サンルーフをチルトアップしてしのぐしかない。東北とはいえ、夏は暑かった。

ボルボと家族3人は、フェリーで北海道に渡ったことがあった。エアコンの霜なんてどうってことないさ。夏休みの支笏湖は快適だ。サンルーフ全開で緑のトンネルを駆け抜ける赤いボルボ740エステート。撮影車両はいないけど、脳内スクリーンには角ばった赤いエステートが木漏れ日を浴びて快走するシーンがいろいろな角度でスロー再生される。母国スウェーデンにも似た北国がやはり相応しい場所なのだ。

あれこれ不具合は出てきた。国道を走っていると「バチン!」と大きな音がして、少しすると白い煙が出はじめた。あぁ、オーバーヒートだ。ファンベルトが切れた。ところが驚くほど運がいいことに、数百メートル先にガソリンスタンドが見えていた。おかげで大がかりな修理には至らなかった。

キーが折れたこともあったっけ。遠くまで出かけた先で車のドアをロックしたとき、違和感があった。抜きとったキーの先端が、ないっ! 鍵屋さんがドアのカギ穴奥に残った先端部を苦労の末に取り出してくれた。自宅に保管してあったスペアキーは、妻が電車やタクシーを乗り継いで持ってきてくれた。他にもたくさんの優しい気持ちに助けられ、深夜にはボルボも帰宅できた。古いガイシャと付き合うってことは、いろんな経験ができるってこと。

車検が近付いてきたころだったかな、天井の内張りが弛んできたような気がしていた。いや、気のせいではなかった。しばらくすると、ルームミラーに天井の布が映りこむほど落ちてきた。娘が友達と出かけるときの足としても重宝されていた赤いボルボ(と運転手)。そのうち、オンボロ「ボロボ」と呼ばれるようになっていた。

VOLVO 740 GLE 16VALVE

乗り換えた国産のステーションワゴンは、中古だけれど滑らかでとっても静かな評判の高いV6エンジン。エアコンはしっかり効いて快適空間、故障など起きるはずもなく慌てることもない。何も文句などなかったのに、どうして満足感が足りないような気がしていたんだろう…。

次はどこが壊れるのかと心配しながら、古い外車を維持していく余裕などなかったのだと、手放してから自分に言い聞かせていた。

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ユキヒロさんの訃報を耳にしたとき、何の関係もないのに 20年以上前に乗っていた赤い「ボロボ」が記憶によみがえったのは、ボルボを愛したという、ほんの微かな共通点を感じたからだろう。ラジオの声とボルボが、ユキヒロさんとの距離を少しだけ縮めてくれたような気がしているけれど、やっぱり今だってYMOは遥か彼方で輝く若者たちに変わりはない。


※ 写真はすべて、1999年、やぶ悟空撮影


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