中国人民による青空裁判
上海に暮らして2年目のある日、私は中国最強であろう人民裁判を体験しました。裁判官はなんてことはない通りすがりの庶民、場所も裁判所でなくオフィスビル前です。
いつもの平日、私は営業先から会社が入居するビルにタクシーで帰社し、料金を支払いタクシーを降りようとしていました。
折しも夕方、ビルの車寄せ付近は車がごった返していました。私の乗っていたタクシーは降りるとき、前の車と車間が空いたのでビル警備員は前に詰めるようにタクシー運転手を急かします。その運転手、私がドアを開け降りようとしているのを失念して車を発進させてしまいました。
そこで恐ろしいことが起こります。私の片足は地面、お尻は車のシート、その状態でタクシーが発進。果たして私の履いてた靴のヒールはタクシーの後輪に巻き込まれてしまいました。
幸いにもその靴は脱げやすい構造のパンプスでしたのでとっさに脱げました。でもストラップの一つも付いていたら複雑骨折も含む恐ろしい大事故になっていたかも知れません。
驚きと呆気と悲しみに満ち溢れて後輪に挟まれた自分の靴を見つめる私を運転手は間違いなくヤバい…!という感じで目を丸くして見ていました。当然私の靴はタイヤの下に押し潰されています。日本で買ったお気に入りの足に馴染む靴が。
取り敢えず私は呆然としつつも車を少し前進させるように言いました。現れたのはヒールを覆う皮がめくれた大事な靴の無残な姿でした。
それを見て状況が飲み込めるにつれ、段々怒りが込み上げ最後には文字通りブチ切れてしまいました。運転手は取り敢えず詫びてはいた気がしますが、運転手としての安全配慮の決定的な欠如であることは明白です。大事故になってたらどうするつもりだったのか、靴の修理代や、何なら新品を買う費用やら何処から突っ込めばいいか分かりません。
烈火の如く怒る私に怯えながら何とかめくれた皮を覆おうと運転手は引き攣った顔で頑張ってはいました。でも潰された靴は壊滅的なダメージを受け、恐ろしい事故が起きかけた事実は拭えません。
私は悲しめばいいのか、怒ればいいのか、罵ればいいのか、いっそ諦めればいいのか、本当に訳が分かりませんでした。
揉めそうな様子を見たビル警備員、慣れた様子で取り敢えず脇に車止めて話をしてくれというので取り敢えずタクシーを駐車場に停めました。そして話し合いというより、表に出ての喧嘩と詫びと怒りと申し開きの応酬が始まりました。
すると何処からともなく入居するビルの社有車の運転手やらバイク便のおじさんやらがわらわら集まり、ただの野次馬と思いきや裁判さながら評定が始まりました。
「その靴が600元(大体1万円くらい)以上も?日本製かぁ。まあそりゃあそのくらいしたにしてもよ、そんな額全額払ったらこの運ちゃんの生活干からびちまうよ!」
なら気を付けろって話じゃない?
「靴の修理なら30元もあれば足りるさね!」
近くのデパートの修理に出せば100元はするよ?
「まあ客が降りてるのに車出す運転手が悪いのは間違いないなぁ。」
でしょ?
「まあ運ちゃんの稼ぎと過失とあんたの損失を考えて、現実的に50元をお客に支払うという線でどうだ?」
何を決め始めてるのこの人達?と思いました。でもこの運転手も家族もあるだろうし、給与もそう高くないだろうし。う〜ん。など考えてるうちに。
「そうだそうだ!それがいい!」と納得顔な周囲。
そして「すみませんでした。」と潔く謝り50元札を払うタクシー運転手。誠意は感じられたので何となく受け取ってしまいました。
これにて一件落着!という感じでお開きになった時は既に15人の人だかりはいましたか。これもありなのかな?と首を捻りながらオフィスに戻りました。その時にはさっきまであった怒りの感情のようなものは嘘のように消え去っていました。
中国人の同僚に事の次第を説明したところ大笑い。よくやった、強くなったね、と大喝采でした。
日本なら見て見ぬふりする喧嘩、中国なら黒山の人だかりの、人民の人民による人民のための裁判が開かれる独自の司法が成立している不思議を見ました。
これに感心してたまに中国人の喧嘩を見物しました。勿論喧嘩の相手を罵ったり自分の言い分を話していますが、野次馬にもプレゼンしていることが多々ありました。野次馬ありきの喧嘩なのでしょう。なかなか見事な弁舌力で感心することも多々ありました。
理屈を言わないと分かってもらえないことが多い中国の人を面倒だと思ったことは山ほどありますが、理屈が通っていれば意外と分かりが早いのもまた中国の人の特色の一つなのかも知れません。どのみちあの国と上手くやっていくのに弁が立つのに越したことはないようです。
逆を言えば中国人の人が日本に来ると空気を読まないとやっていけない独特の文化に苦労しているのかも知れない、と勝手に推測して同情しています。
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