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弱いことを許せる強さ。弱いままを嫌悪する強さ。





誰が用意したものでもない自分の方法で他人に認められたいと思うのは、親や世間に対する復讐でしかなかった。

私が腹が立つのはひとの"弱さ"です。



親や世間の弱さをうらめしく思うのは、もちろん羨ましいから。

弱いままでいられる理由があることが。



だけど、たいそうな理由がなくても弱いままでいても良いと自分に許せるようになったとしたらどうなんだろうと考えてみたりした。

例えば、死に際を自分で選んでも良いとか。



江口きちという歌人を最近知った。
賭博する父親や知的障害の兄や、妹のたき子を養うために働きながら、報われない恋などをしつつ短歌を残して、若くして兄を道連れに服毒自殺して生涯を終えたひと。

自殺を仄めかしていたらしく、知り合いは驚きもしなかったとか。

『受けつぎし 流離の血かも ふるさとへ かへるなかれと 言ひし餞け』

江口きち




ずるずる醜くあがくよりよっぽど綺麗に見える。だからずるくてうらめしい。

自死を選ぶ人はやっぱり嫌い。



だけど江口きちは、やることは全部やって言いたいことも言って最後まで自由だった。道半ばで死に逃げたのでもないし、構ってほしかったわけでもない。それで本当に十分だったのかもしれない。と思わせられた。




人間ってもっと弱くて良いのかな。


弱いままでいる人を見ると腹が立つのは、弱いことを許せないから。



簡単に戦争を巻き起こすことを知っていても国を崇拝できることのうれしさは羨ましい。


正しいとか、正しくないとかの判断を自分でしなくてもいいし。大きな何かに包まれて巻かれていればいい。

仕方なかったら死を選んでも良い。




親や世間は、自分たちは弱いくせに若いものには死ぬなという。

あの人たちが弱いままでいられるために利用され犠牲にされるのは癪に障る。



子供には迷惑かけないようにしようとか、子供の笑顔が見たいからとか、弱い自分たちのための一方的な善意にむしゃくしゃする。

そんなことのために世界は回っていて、茶番がすごい。



やっぱり私は、弱いままの自分は許せないみたい。

たとえ独りになったって、相手の顔色で自分の機嫌が左右されるような世界で生きたくない。

私が許さなくちゃいけないのはきっと、こんな自分を他人から子供だねって侮られること。

人の弱さが無いと表現って生まれないけど、弱いままの自分を慰めたくて馴れ合うための表現はやっぱり嫌い。

こんな自分のせいで人を傷つけてしまうこととどう向き合うかは私のテーマ。


世界中の人が強くなれれば、相手を傷つけることもなくなるし解決すると思ってた。

だけど、弱いままの人をどうすることもできないし乱暴だったと気づいた。


私の強くありたいという気持ちは受け取りつつ、周りの人の弱さはそのまま受け入れる。

そこに何らかの違いがある限り、分かりあうこともできないし、歩みをそろえることもできないけど、同じでなくて良い。

弱いままでいることを選ぶのも強さではあるんだ。


強くありたいのに周りの弱さがそれを邪魔するとか、周りの弱さが私の強さを悪者にするとか気にする弱さは、私が一番嫌悪するもの。

私は、強く在るためなら、どんなに人に頭を下げることになっても愛想笑いすることになってもいいからそれだけはブレたくない。



これは復讐の道なのか、人間としての本能なのか、自分に酔っているのかわかんないけど、私はこういう風にしか生きられないっていうことだけはなんか分かってきたんだー。



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