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10年越しで獲得したわざ
昨年は理想のためにあらゆる可能性に向けて奔走した年でした。
ので余計に今日も作ることに時間を使えることが貴重なことのように感じます。
昨年いっぱい使って知ったのは、自分にしか作れないものがあるということでした。
だから、私自身が作るということをより大切にしようと思いました。
今私にできることを精一杯しようと、今年は特にそう願います。
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わたしの手芸好きは幼少に教わった編みものが発端でした。
子供ながらに編み物が楽しいことを知ったものの、
満足に編み物をする時間もあまりなかったし
上等な毛糸を買うお金もありませんでした。
21世紀初頭
作るよりも安く良いものが買えるので
私にとって編み物は贅沢の極みでした。
編み物がしたいという欲求を押し殺しながら過ごした青春だった。
10年ほど前に北海道に越した際、
幸運なことに
私には少しゆとりが出来ました。
図書館で本を借りて
好きなものを編んでみる。
そんな日々を過ごしながら
編み物の奥深さに圧倒されました。
本を読みながらなんとか編むことはできても、
好きなサイズで好きなデザインを編みあげることはなんて経験のいることだろう。
当時の私は十分に練習する時間がとれない現実にがっくりしました。
編み物がしたい、思い通りに編みたい。編めるようになりたい。
そんな気持ちを心の隅にしまったまま
他にやるべきことがしこたまあったので
たまに細々したものを編むことで発散しながら
気がつけばずいぶんの年月が経ちました。
製作欲求のために真っ直ぐ歩いてきたわけじゃないけど不思議なことに編み物は上達していました。
昔、祖母がくれたクマのぬいぐるみには祖母が編んだぴったりのセーターが着せてあって
私にはそれがあまりにも素敵なことのように感じていました。
編み物がしたいのは、心安らいだ思い出をいつまでも反芻したいだけなのかもしれません。
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私はいつも
立ち止まらざるを得ない時、
新しいことができるようになります。
だから割と変化や迂回が好きです。
いま編針を握ることができてよかったと本当に思います。
私にとって最上級の贅沢
それを許してもらえるほど立派になったわけじゃないけど
できてしまうならしょうがないんじゃないかと、自分を許してあげたい気持ちも出てきました。
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ドール服作家という看板があるから贅沢を許してあげられていました。
なんだか情けない。
自分の中に理由があるのに
他に理由を求めるなんて
情けない。
そんな人間でいたくない。
だから、ドール服作家を辞めると宣言できることになってよかったんだと思います。
買いたいと言ってくれる人がたくさんいるのにそれを断ってまで時間を作ったんだから、
それ以上のものをつくらなきゃダメなんだ。
こんな貴重な時間を大切にできる1年にしたいです。
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