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どんな自分も許容して



『自分の手作りしたもので他人を感動させたい』

今日、すぅっとこの気持ちが出てきました。

なんでこんなことが今まで許せないでいたんだろう。と不思議に思うくらい自然でした。

感動を起こしたい。

顎が外れたり、目から鱗が落ちたりするくらいのものが作りたいなって。

それが私のヒトとしての喜びでした。

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昔から、一人で空回りするのがすっごい恥ずかしかった。

出来そうも無いことに夢中になるなんて馬鹿だと思ってた。

独りよがりの生産性の無い行いに、すごい嫌悪を抱いてた。

過剰に反応して嫌だったってことは、私がそうする宿命だったってことなんですよね。

それらをすることをやっとこさ自分に心の底から許せたところでした。

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どんなにカッコ悪く見られても良いよって。


どんなに滑稽でも良いよって。


どんなに意味が無いと言われても良いよって。

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私は何かを作ることにかけては、するっと吸収してすぐにある程度出来るようになっちゃうタチだから、よっぽど自分の限界を超えることをやろうとしなくちゃ、この境地に立つことはできなかった。

それに、自分にとってよほどタブーで、意味の無いことをやらなくちゃいけなかった。

私にとってのタブーは、社会にとってのタブーです。

そんなこと滑稽で、恥ずかしい、社会を持続させることのほうが重要。

そんなことです。

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そんなことに、結果がどうこうにこだわらずに取り組めている。

社会に逆行して、結果も出さず、意味不明なものを作っている自分を許せた。

その挙げ句に出た望みが

『手作りで感動の渦を起こす。』
でした。

たったのそれだけ。

それで納得がいきました。

そうだったそうだったと思い出しました。

その製作は、趣味のハンドメイドなのか?手仕事なのか?商売か?美術か?芸術か?

ずーっとモヤモヤしてました。

作ることに真っ当な理由と大義名分が欲しかった。

でもそんなことどうでもよかったんです。

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作ったもので心の底から感動させたい。

そういう商品があって良いと思うし、

それらをインスタレーションすれば美術になり得る。

感動を波及させたい。そのためにどんな手段もとって良い。

私の前に広がる世界は、まだ何も決定していません。

何が起こっても不思議じゃない。

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数年前、
他人を感動させたいという言葉すら出てこなかったけどそう思っていたから、私は刺し子に習って骨董美術を今から作ろうと思いました。

つまり、100年間は大切にされるものを作ろうと。

100年後の人間をあっと言わせてやろうと。

この世の豊かさを存分に味わって生きたよって見せつけてやろうと思ったんです。

私がボロボロになった布や針目に救われたみたいに。

私もそれがしたかった。

そんなコンセプトの作品を作って売りました。

買ってくれた人みんな喜んで大切にしてくれています。

人の手から手へと渡りながら、どこかで誰かを癒したり感動させたりし続けると思います。

でもまだ、100年後っていう条件をつけていました。

わたしがすぐに誰かを感動させるのは難しいと無意識に思っていたのかな。

100年大切にされたものは当然素晴らしいと言われるだろうというのがあったんです。

ちょっとクッション。

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でもなんだか、今すぐに

人生観が変わるくらいに感動させたいと思えたのは、すごい前進です。

それが出来るかもしれないとちょっとでも思えたってことだし、

何を思っても良いよって、何を夢見たっていいよって許せたことがいちばんの収穫でした。

もう、ここ数年作って売ってきたものは販売を終了することを決めました。
次のイベントが最後です。

そのあとは、
直接的な収入が無くても作ってみるということに挑戦しようと思っています。

欲しい人がいるから作るというのは、私にとっては逃げです。

だってもっと色々つくりたいというアイデアもあるし技術もある。

それを叶えさせてくれる人が現れるのを待つよりも前に、私はそれをこの世に具現化しなくちゃいけない。

最初は、1,500円の刺し子のキットを買うだけで怖かったわたしが

何か一つのものを作るために、今、十万、百万単位のお金を動かしています。

自分の作りたいもののために、たったの1,500円を出すことが怖かったわたしが。

私は毎日進んでいます。
その分、多くの人の心に何かを波及させることができたら良いなぁと思います。


#YABOUWORKERS
#YABOU劇場

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