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今の若いものはけしからん、は年寄りのひがみ

古代文明から言われてきたこの言葉。若い頃このセリフを言われるのが大嫌いで、歳をとっても絶対に自分は言うまいと思ってました。もう10年ぐらい前から年齢的にそのセリフを言いそうになってましたが、この言葉の本質がわかってきました。

自分はサラリーマンとしては成功しない人生でした。まずまずと思われる大学を出たのですが、全くそれにふさわしくない人生。自分の実力不足としか言いようがないですが、今から思うと学歴に守られたな、と思うのはブラック企業では無かったと言うことです。単純に努力不足、実力不足。ブラック的なところも無かったといえば嘘になりますが、結構自分では反抗してました。

ただ、就職した会社が異常と思われるぐらい大学の名前で選んだのか?と言うぐら一流大学ばかり。上智大学というのは今よりもありがたみがあったように思うのですが、同期600名の名簿を見ると上智より上、と思われるのが過半数でした。もちろん学歴は全てではありません。

だから自分はこの会社では出来がいい方ではないだろうの想像はついたのですが、想像以上でした。でも若いから何かと反発したくなるもの。京都大学卒業の先輩に「自分の考えてることが必ず正しいと思わないで下さい」なんて生意気な口きけたのも若さゆえ。

だんだん年齢を経て本当に自分は少なくともこの会社においては無能、出世もできないと気がついていきます。直接的にうつ病になったのは暴力的な後輩からいじめられたこと。少なくともいじめって立場が上の人が下の者をいじめるものでしょ。それが暴力的なやつ、そいつ電車の中で目が合った人物を脅すようなやつ。こういうのがよくこの会社に入れたものだ。

それはともかく自分は人の上に立つということがなかったのでパワハラはもちろん、若い後輩と接する機会も少なかったので標題のセリフをいうことはなかったのですが、子供達が高校生になったのでやっぱり若いものは恵まれているなあと思わざるを得ません。

若さに嫉妬があるというのが一番でしょうか。でも生きづらい世の中と言われています。本当にそうでしょうか?自分が子供たちの歳ぐらいの40−50年前、世の中はまだ公害で光化学スモッグとかの被害が出ていました。パワハラ、いじめなんかは表面に出ないだけ、実際は今よりもっと多かったように思えます。凶悪犯罪は今は目立つけど、当時だってたくさんあった。

だから今の若い人は恵まれていると思うのですが、不遇な点も多い。実際迫っている大学受験、昔より今の方が遥かに難しい。昔の方が人口は多かったのに4年生大学を志望する人は比率にすると今より少なかった。それと受験生どの改革で余分な合格者を出してはいけないようになってしまった。学歴社会がどれほど浸透したのかわからないけど昔はFランなんて言葉はなかった。まあ暴力的な大学はたくさんあったけど女子生徒が増えたせいかそういうところも結構まともになり難しくなった。

過去は変えられないけど未来は変えられる。自分の過去で思うところは多いけど変えようがない。せいぜい子供達に自分を反面教師にしてもらいたくこういう失敗があった、というのを恥もプライドもなく子供達には伝えています。親父の面子なんてあったものではない。

結局若さが一番強い、というのは若い頃には実感できないです。それを押さえつけるのかなんだか知らないけど昔から年長者が若年者をいじめる。上智大学なんてそういうの無縁と思ってたけどそんなことはない。幻想を抱いている分普通にそうであってもものすごく先輩が威張っていた。

自分が所属していた将棋でない方のサークルはものすごく、ではないけど体育会的に威張ってた人がいたからさっさと辞めて今から思うと百人一首の団体に入れば良かったと思う。ちょっとでもそういう部活があると聞いていればなびいていただろうけど全然耳にしなかった。

そういう体質はOB会なんかでもあるようで、大学のSNSとかで集まる時なんかあったけど特に男の先輩がかなり威張っている印象があったし、不快な発言も結構あった。それで大学のオフ会に出るのをやめた。

ほんと年長者なんて害悪でしかないように思うが、今その立場になった若者に言えるのは、年齢、経験を経ているだけの人間に負けないような実力をつけてほしい。仕事が出来るかどうか、というのがわかりやすいが始めは敵わない。でも焦らず徐々にでいいから追い越してほしい。学歴とか関係ないです。入る時だけ。入社した後は実力勝負だから年長者でも勝てそうなのはたくさんいる。

新年に向けて、がんばれ!若者たち。

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