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PPP的関心2023#09【後出しジャンケン的な発想では民間活用、PPPは進まない】

年齢こそ私より若いのですが、社会人大学院の”センパイ”でありいつも大きな心(と態度?(笑))で私をもてなしてくれる(いじってくれる(笑))人がリンクの記事についてお考えになったことをSNSでシェアしていました。
「PPP的関心」としても考えるところが多い話だと思いましたので、今回はこの記事を読んでの感想や考えたことを書いてみます。

住民からの批判…、と訴える記事から

はじめに断っておきますが、筆者は記事が対象にしている事業の背景を詳細に把握しているわけでなく、あくまで記事に書かれた内容をもとに記事中で「問題だ」と指摘されている問題の「本当の問題は何なのか」について考えを述べていることをご承知ください。

記事をかいつまんで把握すると、公共施設(中学校)の統廃合に伴って発注された建て替え工事の設計業務を委託する先を、あらかじめ決めていた(はず)の公募手続きに従って決めたのだが、選定に関わった当事者の一部から決め方の手順などへの異論や、政治家との関係が遠いとか近いといった見方から「おかしいのではないか」という指摘がある…という内容です。

違和感を訴える記事に対する違和感

記事にある異論(違和感)を読んで「違和感を訴える記事に対する違和感」を特に感じる大きなポイントは

  • (最終決定は市長だと思うが)影響力を持つ諮問機関的な役割を持つ委員が機関内で議論すべきことを「後から」「外部に漏らしている」こと

  • 仮に過程の不備だという指摘が事実として、記事の訴求点が過程の問題を結果の問題(選ばれた人がおかしい)にすり替える印象を与えていること

あたりです。

一つ目は、(記事にある通りとして)専門性によって配点ウエイトを変えるべきたったとかハザードマップとの関係で疑問が残るとかいう指摘は、本来「事前に精査され」「ルール化され」「その上で決定過程の手順や基準として公開」されていたはずじゃないの?、あるいは委員であれば委員会という公式な場面で言うべき話ではないの?…そんな疑問しか残らない話だと思います。もし記事にあるママにその場で微修正しながらことを進めたという話なら行政のプロである市役所職員と有識者といわれる学識経験者により構成される諮問(実質的に決定する)のための委員会を仕切る事務局の事前準備不足ということになります。決定プロセスにおける透明性や恣意性の排除のための想定や準備が不十分だったということです。
また、上記のような話は公募要項や機関設置など準備段階の問題として指摘すべきところを、実施計画には問題がなく実施過程そのものに問題があるかのように「後から」「メディアに」訴えている点がもっと不思議です。
例えば、記事中の” 突然「1位の数が多いJVに決めましょう」という案が浮上し、その場で採決を取って了承 … "という場当たり的な対応があったという件も、そんな「突然」の変更に不満ならばその場で徹底的に議論して納得がいく手順を踏むべきだと思います。後から第三者を通じて訴えるような話題としてリークするのは逆に不透明感を増すだけだとも思いました。

二つ目の話は、先ほど指摘したように準備の悪さと過程の不透明という運用の問題と考えるべきところを、結果として選ばれた組織に異論がある(選ばれ方に疑問が残る?縁故だから?)から過程が悪いというのは筋違いな気がします。結果は手順に従ったのだから仮に結果が思惑と違うならそれは過程が悪いということにしかならないはずです。やはり「どういう組織がエントリーできるか」を明確にしておくという「準備の問題」であって、選ばれた結果が人的な繋がりとか「ネタ」として面白そうという理由で「おかしかったんじゃないか」と指摘するような記事の書き振りはそもそも問題の本質をとらえていない気がします。

いずれにしても、内部問題を外部にリークして後からけしかけるような誠実さを欠くことも、外部から指摘を受けるような過程や基準の曖昧さを残した公募をしたことも、色んな意味で準備不足だったというのが「問題の本質」であって、それなのに後出しジャンケンがあったかのようにずるい、おかしい、不透明だと不満を煽りたてるメディアの姿勢にも違和感を感じるところです。

新しい「官の決定権問題」とも言える

PPP的関心ではこれまでも「官の決定権問題」という言葉で、PPPにおける事業者や事業手法の選定において「決定権」を持つ官側が市場原理を熟知しないこととや市場原理を知っていてもそれを無視あるいは軽視することによってもたらされるミスマッチが生じることを示してきました。

今回の話は官側の知識不足とか不作為によってもたらされたということではないかもしれませんが、一方でこれまで「身内で」使う(通じる)やり方で曖昧な中で最後は”まぁまぁ、最後は話せばなんとかなる”といったルールではなく関係で解決するような曖昧さや余地を残したことが裏目に出たという点で、新しいタイプの決定権問題(=過程の作り方、過程を重視した準備の不足)とも言えるのではないかと思いました。
その結果、冒頭の記事にあるように「不透明感」が生じて「後出しジャンケン」的な指摘が生まれ面白おかしく切り取られるような状況が生まれたということだと思います。

人のやることですから「完璧」はなかなか実現できないまでも、過程の中で起こりうることの想像力をどこまで広げられるか、は今回のような事例に限らずPPP的な取り組みにおいては大変重要な力だと思います。
そのようなことを改めて考えさせられる記事だったと思います。

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