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怪しい名匠 追悼・木下恵介1999.01.14 ほか 矢部明洋

 暮れも押し詰まってから木下恵介監督が亡くなった。クロサワや宮島義勇といった日本映画の巨人が世を去った98年。「ボクも行かなきゃまずいかな」とでも思い立ったかのような死去だった。
 10年ほど前、浜松に住んで仕事をしていた私は、その地の出身である木下さんにお会いしたことがある。当時、浜松市は市政50周年を迎えるにあたり、木下さんに記念映画を撮ってもらおうと画策していた。結局、木下さんの撮りたいテーマと市の思惑が一致せず実現はしなかったが、木下さんは郷土のために尽力しようと、いろいろ市の行事に協力なさっておられた。
 淀川さん同様、木下さんも終生独身で通された。そして淀川さん同様、独自の強烈な美意識を持ち、お洒落な方だった。その物腰に私は淀川さんと同じ嗜好を感じたりもした。
 私たちの世代が木下作品にリアルタイムで接したのは『衝動殺人 息子よ』以降のことになるが、全盛期のころの作品を名画座で見るに付け上手さ、リズム、センスという点で、最高の腕前だと唸らされたものだ。小津、溝口、黒澤は度々上映されているが、木下作品は、あれほど一世を風靡したにもかかわらず上映の機会は少なかった。小津、溝口、黒澤らはかなりクセの強い作家で、後世の映画人が見習い、真似るべきなのは木下さんのポピュラーな技量だと思う。
 正しく映画の価値を見極める仕事が余りにお粗末なこの国では、海外で評価が高まった作家しか認めることができず今でも「オヅ・ミゾグチ・クロサワ」とバカの一つ覚えで繰り返している。木下さんはワリを食った気の毒な名匠だった。冥福をお祈りしたい。
 

賞がおかしい キネ旬ベスト10、直木賞1999.01.24

  6日、キネマ旬報が98年の邦洋画ベスト10を発表した。私がこれまで愛情のこもった罵詈雑言を浴びせてきた映画がものの見事に上位を占めている。いいのかい、これで!
 キネ旬ベスト10は芥川・直木賞ほどの扱いではないにしろ、全国紙が社会面で報じる映画界では存在感のある賞だ。ところが、この十年ほどランクインする作品の質が怪しい。平たく言うと「何でこんなしょうむない映画がベスト10に入るんじゃ」ということである。特に日本映画は信じられないような作品がテン内で横行している。
 近年一番ひどかったのは95年で、傑作『渚のシンドバッド』が10位なのに、イマイチ作の『Love Letter』が3位、『幻の光』が4位、『写楽』5位で、挙句の果てに『午後の遺言状』が1位に輝くという言語道断の結果であった。
 さて98年もベストワンは北野武監督作品の中で1、2を争う凡作の『HANA-BI』である。『キッズ・リターン』や『その男、凶暴につき』に比べれば桁違いにつまらない作品だ。選者の評論家たちは監督たけしを評価すべき旬を見誤ったのである。そしてベネチアのグランプリに目がくらんだというのが本当のところだろう。2位の『愛を乞うひと』は前に書いたので省略。『カンゾー先生』の4位もひどい。これは今村昌平作品群の中でも失敗作に分類されるべきものだ。個人賞だって単に話題作に出たことが選考基準のような、安易なセレクトだ。もっと芸を厳しく鑑定してやらなけりゃ役者が不幸だ。
 どうしてこんな結果が出るのか。評論家とは名ばかりの人たちによる人気投票だからである。海外で賞を取ったり、けなし難い題材の映画が幅広く票を集めて上位にランクされてしまう。賞の価値を守りたいなら、文学賞のように少数精鋭の評論家による討論選考方式に改めるべきだろう。映画賞のほとんどが投票方式であるため、評論家が育たないという面もある。
 毎日映画コンクールなどはキネ旬に対抗して討論方式に衣替えした方がいいのではないか。だいたい毎コンの選者は約90人で、キネ旬の選者もほとんど含まれている。受賞作も似たものになりがち。やってる意味がない。それに投票方式だと昨年のように幸福の科学製作のアニメ映画が組織票とおぼしき一般からの大量投票で日本映画ファン大賞に輝いたりしかねない(幸い昨年は『もののけ姫』というメガヒット作があったせいで、それは回避されたが)。
 キネ旬の決算特別号と毎日映コンの詳報が紙面化されたら、今度はおかしな評論家を探してみたい。

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 しかし討論方式でもおかしな受賞は起こる。14日発表になった直木賞は宮部みゆきの『理由』が取った。元が新聞小説なので読みやすかったが、明かに『火車』の迫力には劣る。彼女は『火車』で同賞を取るべきだったのである。選考委員会は評価すべき旬を逸して、いつあげよう、いつあげようと逡巡した挙句の今回の受賞だったと想像される。『理由』は直木賞に値するほど出来のいい小説ではない。一体、どんな討論が交わされ受賞が決まったのか選考過程が早く知りたい。 

名画座、亀有に死す 1999.01.30

  昨夜、亀有名画座が2月いっぱいで閉館になることを知った。ちょっとした用件で何年ぶりかで電話したところ、今井支配人が教えてくれた。道路の拡幅工事にひっかかり、大家から立ち退きを迫られてのことだという。
「でも、最近はお客も1日せいぜい30人。じり貧だったから」と今井さんは自嘲気味に話しておられたが、会話の中で何度も「残念です」との言葉がもれた。
 名画座に定義などなかろうが、1月に大井武蔵野館が閉館した時、私は「もう東京でも亀有が最後の名画座だな」と考えていた。それだけに正直ショックだった。
 10年ほど前、生まれ育った京都の街の代表的名画座・京一会館が閉館した。当時、私は浜松で仕事をしており、閉館のことは本屋で立ち読みしていたキネマ旬報の記事で知った。店頭にもかかわらず、「あ痛っ!」と思わず声が出て、しゃがみこんでしまった。今回もやはりへたりこみたいような、居ても立ってもいられないような気分が続いている。何と言えばいいだろう、この世の中で自分の居場所を一つ失ってしまったような不安……。多感な時期に名画座に通いつめたせいで、自我の一部を確実にその暗闇の中で形成したためなのだろう。
 夏は冷房が効きすぎ、冬は暖房の効果が疑わしいほど底冷えがする場内で、手袋をした手を、さらにポケットに突っ込みながら見た松竹ヌーベルバーグや日活ニューアクション。背伸びし、知ったかぶって通ったゴダールやヴィスコンティ。出かけるのは大抵一人だったが、壁はもちろん天井さえも古い映画のポスターで埋め尽くされた空間は、不思議と心地よい孤独感を味わわせてくれた。
 銀幕の上に展開される世界だけが映画の魅力ではない。清潔で、音響やシートが良くても、封切館や流行りのシネマコンプレックスに場としての魅力は乏しい。古今東西の名作やポルノ、ピンクの傑作と何でもありの名画座には濃密に映画の匂いが立ち込めている。番組は時に、支配人の個性が露骨にあらわれたりして実に人間くさい。それらの要素が映画好きを惹き付けて止まぬ強力な磁場を発生させていた。何より劇場あっての映画である。
 池袋の文芸座も、銀座の並木座も既にない。私たちは今、かけがえのない場所を失おうとしている。

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