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スカスカ~『絆』と『レインメーカー』 1998.07.04 矢部明洋

 根岸吉太郎監督『絆』とコッポラ監督『レインメーカー』を同じ日に見た。おかげで、 痛ましいほどの日本映画のスカスカぶりまで目の当たりにしてしまった。
 客の入りではない。『絆』の人物描写がスカスカなのである。
 映画館まで足へ運ぶ客は、少しでも楽しもうと画面に目を凝らすものだ。登場人物に感情移入できれば、心から泣いたり笑ったりできるわけで、各キャラクターの言動はもちろん、衣装、暮らしている部屋の様子(つまり美術セット)から少しでも個人情報を得ようと熱心に見る。したがって、客の心をドラマに引っ張り込むために、人物の体臭を感じさせるような演出や、大道具・小道具を駆使しての飾りたてを試みるもんだ。
 ところが、『絆』の人物描写は、そうした個人情報を完全に欠落させている。
 例えば、主人公はじめ主要キャラの住宅・居室・会社の事務所などが劇中、当然出てく るが、このセットに全く生活臭というものがない。美術や小道具の、この淡白ぶりは何な のか。極端な話、台詞以外に登場人物の過去や、キャラ同士を結ぶ因縁を示す描写がない。 この欠落ぶりは、演劇のように台詞や役者の芝居で勝負しようとした監督の狙いだったの かもしれないが、それならもっと上手い人をそろえるなり、下手な役者を鍛えるなりしな きゃ。
 一方、『レインメーカー』は好対照だった。現在、米国で流行っている裁判ものだが、こちらは登場するキャラを様々な手練手管を使い、観客に印象づけている。
 ガラクタを山積みしたオンボロ車で現れるマット・デイモン。包帯と痣だらけの顔で登 場するクレア・デーンズ。悪徳弁護士然としたファッションを崩さないミッキー・ローク 。エリート臭ぷんぷんのジョン・ボイト。親切すぎるくらい、各キャラに過剰なデコレー ションが施されている。まことにハリウッド映画というのは鼻につくほど分かりやすい。 ここまで類型化された人物ばかりだと、逆の意味でスカスカになるのだが、1人、技あり のキャラを造形したことで、この映画は水準作から一歩踏み出せた。
 白血病で死ぬ青年の父親だ。
 この人物には台詞がない。ただ酒をがぶ飲みし、庭のボロ車に立てこもり、法廷の傍聴 席に座るだけだ。主人公マット・デイモンとの絡みも、息子の葬儀の場面だけなのだが、 これが伏線となってクライマックスのアクションで観客の心の琴線を揺さぶってくれる。小道具の写 真の使い方もピタリと決まり、この父親役の使い方の巧さが、この映画の芸の見どころと なっている。
 『絆』には、身銭を切った客に失礼なほど芸がない。

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