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あなたの夜とわたしの朝

あのくちびるを思い出していたら、いつのまにか日が昇っていた。マスクの先の、やわらかいくちびる。

わたしの体は、男性。わたしの心は、女性だ。

はじめて心の中で呟いて、はじめて口に出して、はじめて人に言って。
なんだか納得して、すごく不安になって、彼女の言葉に救われた。

彼女に出会ってから、わたしの時間は明らかにスピードを増していた。

前から違和感があったの?と聞かれたら、それはわからない。

可愛い服を見て、着たいと思う。綺麗なネイルを見て、塗りたいと思う。甘い匂いを嗅いで、纏いたいと思う。可愛いね、と言われたい。鏡に映る髭が、嫌だと思う。大きな手のひらが、邪魔だと思う。角ばった肩を、隠せないかと思う。

ピンクも青も好きだ。でも、ピンクを選びたい。
学ランだってかっこいい。でも、着たかったのはセーラー服。
俺、って力強くて素敵だ。でも、わたしの方がわたしには合っている。
男の子たちの話はくだらなくて面白い。でも、あの子達の話が気になる。

少しづつ募って、山になっていた。

脱毛をして、服をオーバーサイズにして、変じゃないくらいに髪を伸ばした。たまに、手術のサイトを見た。ユニセックス、という言葉に惹かれた。わたしは、男らしいのが嫌なんだなあと、その時に初めて思った。そのくらいだ。

よく見るだけのLGBTに、わたしが属しているなんて思わなかった。思いたくなかった、のかもしれない。

彼女はわたしを見て

「女の子?」

と言った。わたしは嬉しかったけれど、嬉しかったから、黙って首を振った。彼女は「可愛いね、その服。」と言ってわたしの顔を見た。わたしは恥ずかしくて、「ありがとう。」とだけ言った。LINEを交換した。

ぽこぽことLINEを送りあった。

何してる?空綺麗だよ。月が見える。お腹すいた。面白かった。あれ食べたい。眠いね。寝れない。雨降ってきた。猫。写真。飲み会の後の、長い電話。

彼女は私によく触れた。

なにそれ、と笑って肩に触れた。着いてる、と言って頬に触れた。優しいね、と泣いて髪に触れた。大丈夫、と言って身体を抱いた。

好きだ、と思った。

こんな女の子になれたらな、とか、そんなのよりも先に、好きだ、って気持ちが溢れた。留められなかった。わたしは会話の中でいちばん、好き、という言葉を使った。それ好き、これ好き、あれ好き、ここ好き、好き、好き、好き。

自分のことも分かってないのに、彼女のことを分かりたいと思った。

そして、彼女はわたしのことを分かってた。

「女の子とキスするのはじめて」

キスをした。不織布の重なるざらっとした音がして、布の先にふっくらとしたやわらかさが居た。

好き。なんでもいいから、このままでいたいと願った。昼が終わって、夕方が来て、夜に入りかけていた。空に星が散っていた。

わたしは泣きそうになりながら、好き、と言った。
彼女は笑って、好きだよ、と言った。

彼女のことを好きなわたしの朝が来た。
わたしのことを好きな彼女にも夜が来る。

わたしの朝は、ゆっくりと空に溶けていく。

お読みいただきありがとうございます。あなたの指先一本、一度のスキで救われています。