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【小説】私という存在 #5 説明という名の言い訳

自殺事件で、職員室の中では一躍有名人となり、たくさんの先生に声をかけてもらえるようになると、章大は勘違いを始める。

みんな自分が好きでいてくれる

今思えば、いじめられても仕方なかったんだと思う。自分の社会的地位のみ考え、常に自分が傷つかない方向だけを考えて、立ち振る舞う姿は、他からみると、滑稽でならないはずだ。そしてそれは、37歳になったいまでも続いている。。。

最初はその人のご厚意に甘えていただけだった。ただしこんな言葉があるようだ。

ネズミにクッキーをやると次はミルクをねだる。 映画「エアフォースワン」より

きっとこの状態だったのだ。ご厚意を次々と受けることで、それが当たり前になり、感覚がくるっていたのであろう・・・

そんななか、祖父の雄成が直腸がんで他界する。72歳だった。

家には母、祖母、私の三人で、姉の奈津美は遠くの高校に下宿をしている。

私の天下だった。母の明子は好きなことをして、章大はわがまま放題。祖母の瑞貴は幾何の思い出過ごしてきただろう・・・

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父の浩二が他界した遺族年金やそのほかたくさんのお金があり、田上家は裕福だった。それが、雄成の死から転落を迎えることになる。

その反動でわがままになった章大は自身の喘息を「利用」することになる。歩いて上るのが本当にしんどい山の上にある中学校に、章大は

タクシー

を使って通学することになるのだ。考え方がバグっている。今思えばばかげたことだ。そして、当時一年間通ったので計算すると約145,000円をタクシーで使ったことになる。

ありえない

でも章大は、自分が楽をするためならお金をつかっても構わないとこの時、資産に対する考え方を構築したのだ。

さすがに祖母の瑞貴も「今日は歩いていけるんか?」としっかり毎日聞いてくれた。今思えば章大を気遣ってくれて、できれば歩いて行ってほしいと思う気持ちも入り混じっていたんだろうけど私は必ず

きょうもつらい

こう答える。

そう、説明という名の言い訳をして、自分自身の楽する方向へあらゆるものを使用して生きていこうとしていたのだ。ひねくれた考え方や、金銭感覚の歪曲はここで形成された。

部活も

通学も

体育も

みんな面倒なのは「喘息でつらい」と説明という名の言い訳をして乗り切った。そう、社会は「間違えでも言い切れば正義になる」そう過去に学んだから。。。


斯くして章大はゆがんだ人格形成を行いながら、高校生へと進むことになるのだった。


続く

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