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This is Not note#5『2020年の中野坂上デーモンズと2021年の憂鬱(2022年の帰還を前に)』

初めて、中野坂上デーモンズの憂鬱(だった頃)を観たのは2019の『髄』。その日は自分の48歳の誕生日。『髄』って。誕生日で『髄』って随分な話だ。夏にMOHE・MAPで『アイスクリームマン』(俺にとっての最重要演劇作品の1つを松森モヘーが演出した舞台は語りだしたら今回のnoteが終わる)秋にオルギア視聴覚室で『藤』という短編(Twitterには「あっという間に不条理を完遂」と感想を書いた。This isデーモンズ)を観ていた。満を持して、本公演。俺はTwitterを始めてからオルギア界隈(便宜上、使う笑)の演劇シーンを知ったのだが、デーモンズと地蔵中毒はフライヤーで随分と前から存在を認識していたのに(フライヤー原理主義者なので)どっちもその独特が過ぎるセンスに二の足を華麗にステップで踏んでいた。特にデーモンズは絶対に肌が合わないと思っていた笑。演劇食わず嫌い王。昔ならハイレグジーザズ(簡単に説明するとち○こをコンビニ袋で隠して演劇をした気合上等の人たち。ゼロ年代・テン年代演劇に与えた影響は大きいと考えているが語りだしたら今回のnoteが終わる)に感じた皮膚感覚。そこ具体的に書けよって話なのだが、もうこれは勘なのだ。後々にモヘー(と俳優たち)が(ほぼ)全裸で舞台に上がっている画像を見て(ちん○が出たこともあるらしい)そういう勘の鋭さに苦笑したもんだった。想像するデーモンズ大狂乱時代。観とけばよかった。

『髄』は初期状況劇場を観た人が「気狂い」呼ばわりしていたのと似た肌触りだった。てっぺい右利きと澁川智代の乱闘なんて何を観せられているのだと途方に暮れて。ラスト、俳優たちがトランス状態になりながら名乗りを挙げていく場面のキマりの良さには大興奮した。公演後、小屋入りしてから台本が上がった話を聞いて80年代小劇場演劇のフォークロア(仕込みながら台詞を覚えたとかゲネの時点でラストが未完成だとか)をリアルで?と身震い。ただ、俺は『髄』に熱狂しながらドハマりはしなかった。冷静と情熱の間。俳優は好きな人だらけだわキレッキレだわ演劇作家としてのモヘーにはめちゃアイデンティファイしたわ(するな)なのに。Twitterで見た「令和のアンダーグラウンド」なるフレーズにもピンと来ない。逆にその時期のデーモンズ(オルギア界隈ではメジャー感もあって)に「アンダーグラウンド」って言葉は邪魔じゃね?みたいな。作品的にモヘーは「狂気まで理詰め」(©︎別役実)で進める人なのかなと考えたので、じゃもうちょっとだけ洗練は欲しいみたいな。さあ、見る眼が無いのを自慢する時間はそろそろ終わりますよ。ここからは掌を返し過ぎてブチって腕がもげるところをお見せいたします。「嫌いなものを好きになったら病みつきだ」(©︎横山剣)

翌年の佐藤佐吉演劇祭で『園』の再演が決まっていたのに忌々しいあいつのせいで直前に王子小劇場が撤退。演劇の中止が相次ぎ、先が見えない中で全ての演劇人が模索を続けていた時期にデーモンズは即座に反撃に出た。新たに別の小屋を押さえて、新作を上演する。時間は3週間も無いのに。頭おかしいだろ!おかしいだろ!おかしいだろ?デーモンズはおかしいんだよ。これで『令和のアンダーグラウンド』は確定した。伝説の状況劇場『新宿西口中央公園事件』に匹敵する(本来なら)小劇場演劇史に残るアクションだった(演劇メディアのリアクションの薄さよ)。議論の余地はあるのかもしれない。でもこういう気合上等ってか魂?を観る為に俺は小劇場演劇に足を運んでいるのだ。仕事のシフトをブッチぎって、予約する。唐十郎の「世界が崩壊しても蝋燭1本あれば、演劇はできる」という言葉を『髄』で思い出したことを思い出す。あの時にもう始まっていたんだ。

今にも雪が降りそうな寒空の下、人影がまばらな新宿通りを歩く。世界の終わりがそこで待っていそうな日。たどりついたLive Space ANIMAは舞台上も客席も変わり者でぎっしり。百合子が見たら「密でーす!密でーす!」と目をひん剥きながら人事不省に陥る。『回る』は圧倒的でしかなく(やっちゃいけないこと大体やっていた)あらゆる死(『園』から別役実)が語られた後にやってくる澄んだ諦観。唐突な死は不条理。これが演劇とのお別れ会になっても仕方ないなと思っていながら落ち着いた気持ちでデーモンズにドハマりした瞬間だった。

そう簡単に世界は終わらずダラダラと日常が続いて、遅めの夏が来た。暑い昼に観た『終わる』は完璧に近かった。完璧だと終わっちゃうからね。当時『マスク演劇』が主流だったのはなにかの悪夢みたいだが『終わる』は「マスクをしての演劇」を終わらせた。やれること大体やっていた。また『マスク演劇』をやる時が来ても困るので笑、来ないでください。魅力的な俳優たちとソリッドな戯曲に「別役実に勝ちたいと言っていたつかこうへい全盛期の舞台」はこうだったのかと想像させる速度、殆ど音楽と装置を使わず照明と衣装だけで魅せていく演出。洗練されながら熱量は無尽蔵な舞台を観ていて、ただ、ただ幸福でしかない時間。

この2本の舞台で2020年は中野坂上デーモンズの年と記憶されると書いていたら年を跨いでの下北沢連続公演『間』と『で』が発表された。おかしいおかしいと知っていてもまだまだおかしいと言わせる中野坂上デーモンズ。誰かが言っていたが「3本続けての傑作は演劇では稀」はともかくとして「年明けにはスズナリ初進出」という大勝負の時に連続公演って、おかしいのよ。せめて、再演なのね。地蔵中毒もそうだったが「ステップアップの時は自信作の再演」がデフォなのよ。「小劇場すごろく」が何処かに行ってしまった世代の壊れ方に笑うしかなかった。

『間』の楽日に向かっている電車の中で(俳優の体調不良による)中止のアナウンスを見た。間に合わなかった。そのまま下北沢に行く。待ち合わせをしていた(後にデーモンズとご縁が繋がる)人と『8月』にカレーを食べに行った。もうすぐ2020年は終わるけど『で』を観るまでは終われない。

年が明けて『で』が上演。無事に出会えた。スズナリの舞台を大人数の俳優が埋め尽くし(第三舞台のスズナリ初進出『モダン・ホラー』と重なるのはまだしも舞台が客席で俳優が観客として現れる『ピルグリム』とも重なる楽しい偶然)スズナリ到達の日に「劇場は死んだ」「演劇は死んだ」と叫ぶニーチェ松森に笑ったが天国(スズナリ)を(過去にデーモンズに出た俳優が声だけの出演をしたり名前が台詞で連呼されたり)中野坂上オールスターズで侵略をするんだと言わんばかりの悪魔たちの気合には泣いた。

ある人が「あの地蔵中毒がスズナリへ!って騒がれているけど、中野坂上デーモンズだって○んこ出していたのにスズナリへ!って騒がれてもいい」とか言っていて、だいぶ笑ったし泣けた。あなたが『ザ・スズナリに中野坂上デーモンズが立った日』を書けばいいのにと思ったのもこのnoteを書いている動機だ。書けばいいのに。

2020年がようやく終わった。中野坂上デーモンズは憂鬱じゃなくなった。3人になっていた。『間』には会えなかったけど『で』には会えた。大狂乱時代には間に合わなかったけどデーモンズに出会えて、本当に良かった。

皆が知っている悲しい話を書くのは憂鬱でしかない。「演劇は死んだ」から鎮魂祭で復活祭で祝祭の『夏の夜の夢』を春に取り行うとしたら夢に終わった。「じゃあ1人でなんか喋るわ」と考えたモヘーも口を閉じたまま、2021年が終わった。

そして、2022年だ。「演劇は……死んだと思う。や、思うだけなんやけど」と、モヘーが口を開いた瞬間からもう止まらない。「10周年!」「新作4本!!」とまたおかしくなってきた。しかも1人増えている。2022年の一発目は「1500円!!!」「目指せ、600人!!!!」誰か止めろ。チケット代もだが、600人も動員したいんなら出演者を増やすのが手っ取り早いのよ。なんで4人芝居なんだ。なんで4人になったのに余計におかしくなってんだ。あ、4人だからか。おかしさも4倍。この4人のピカピカの中野坂上デーモンズをデーモンズを見たことある人にもない人にもたくさんの人に見せたいんだ。それで1500円なのか。じゃあ仕方ないや。3枚の500円玉を握り締めて600人の1人になりに行こう。あなたもどうですか行ってみたいと思いませんか? Uh-uh-uh さあ!「死んだと思う」に集まろう!と、フライヤーの構図で中尾仲良と安藤安按と佐藤昼寝と松森モヘーがイイ顔で笑っている。

中野坂上デーモンズの大狂乱時代はこれからなのかもしれない。

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