今朝見た夢からの学び
おはようございます。こんにちは。こんばんは。
コーチのくまごろうです。
今日もつらつらと書いていきます。
昨日見た不思議な夢のことについて書いていこうと思います。
だいたい覚えている夢というのは、印象的な夢というか不思議な夢が多いもので、
幸せな夢というのはあまり覚えていないことが多いもので、、
今回書いていこうと思う夢は、最近見た中でも特に印象的なものだったので、
忘れないうちに文字に起こしておこうと思います。
<夢の概要>
・夢の中にも時間軸がある
・数年間ずっと心につっかえていたものがある私(という設定。夢だけどとてもリアル)
・数年前に冤罪で、当時は全力で否定をしたものの、周りの自分を見る目が変わり、ずっとモヤモヤと終わらない声、そして治らない頭痛を抱え続けることに。
・数年後経った今、冤罪をかけてきた相手にたまたま会って、あの時のあれは何のためにやったのか?動機を問い詰めたら、無邪気な笑顔で「何もない」ということだった。
・夢の中の自分は、「ああ、世の中には意味もないこともあるんだ」と何故か悟って、「自分を苦しめていたのは自分なんだ」と納得をする。
・(ここであらゆる感覚が激変。)きれいさっぱりな表情になる自分。頭痛もなくなる。
・その後、冤罪をかけてきた相手と家族ぐるみで楽しく笑いながら語り合う
というところで夢が終わるのですが、
なかなかツッコミどころな夢であるなと感じるとともに、何故か腑に落ちる自分もいるという目覚めの朝が今日でした。
妻曰く、今日はいびきが凄かったようで、途中でピタッと止まったということだったので、もしかしたら夢の中の場面転換を境に、いびきも止まったのかもしれないと思うと、夢の中の自分も現実の自分も同じタイミングで苦しみ、同じタイミングで楽になっていたのかもしれません。
せっかく夢の概要を覚えているので、
この夢からの気づきや学びは何だろうと考えてみると、
「人の「悪意」に大した意味なんてない(少なくとも自分にとっての理に適う意味はない)からそこに真面目に向き合うのは無駄」
「相手に引っ張られるのではなくて、確固たる自分を持つことが重要」
「確固たる自分がなければ外的なものに対して悩み続けてしまうし下手をすると自分を責め始める。それこそが自分自身を最も苦しめる」
ということなのかなと思います。
とはいえ「悪意」とラベルを貼っているのは自分自身であって、「悪意」を放っている相手側からすると全く悪意と感じていない(ちょっとは悪意をこめているかもしれないが非対称。)この状況は不合理ですが。
※まだ、悪意を向ける正当な意味を持っていてくれた方が、悪意を受ける側としては納得がいく。が、今思うと正当な意味を持ち始めた悪意は「敵意」というものかもしれない。敵意には立ち向かえるが、悪意に対してはなんとも人は脆いのかもしれない。
というのを備忘録としておいて、
とりあえずは、
外野の声に揺さぶられないように、確固たる自分というものを持ち続けて、
「悪意」とは真逆のエネルギーである「善意」を発する人間であり続けようと思った、そんな今日でした。
ではでは
by コーチのくまごろう
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