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受動的なネット情報のインプットはもうやめようと思う

おはようございます。こんにちは。こんばんは。
コーチのくまごろうです。

今回もつらつらと雑記でとりあえず書いていくスタイル(後からタイトルを決めるパターン)で書いていこうと思います。

noteを書き始めて思うのは、「雑記」というタイトルにすると書きはじめのスムーズさが全然違うなということです。タイトルを先に決めようとすると、「狙い」や「ちゃんと書こう」という意識が働きすぎて、結果的に書けなくなってしまうので、まあなんとかなるか根性で引き続き書いていこうと思います。

さて、最近思うのは、「ネット情報って意味あるのか?」ということです。
これだけだと、いろんな人からいろんなご意見をいただきそうなので補足をすると、
「(受動的に)ネット情報(を読むこと)って(自分にとって)意味あるのか?」ということです。(拡張するとSNSの投稿全般がそうかもしれませんが。)

能動的に、自ら欲しい情報にアプローチするために検索ワードを考えたりしながら、Googleで検索したり、noteで検索したり、Youtubeで検索したりして出てきたネット記事多数をあれこれ読み流しながら必要な情報を探るのは良いとして、

受動的に、タイムラインに出てくるいわゆる「ネット情報」を読むことは自分にはあまり必要ないんだなというのを最近改めて思う毎日です。
※ネット情報がつまらないということではない。むしろ自分の「読みたかった」記事やそれに近しいものがレコメンドされるため、ついつい読んでしまうことが多い。ただ、それだけであって、結果的に時間を浪費してしまうことが多く、自らのクリエイティビティを磨いたり、発揮する時間は減ってしまうなと思う今日この頃。

詰まるところ、自分にとっていらない情報が氾濫して、かつ勝手に入ってくるので、自らの基準で情報を絞っていく+制限をかけるということをやっていく必要があるかなと思っています。
雑音や騒音を聴きすぎると耳が痛くなるように、
太陽光をずっと浴び続けたり、強烈な光にずっと晒されていると目も痛くなるように、
身体に合わないものを食べたり飲んだりしすぎると体調を崩すように、
脳みそに入れる「情報」も、悪いものばかりが大量に入ると、脳みそも参っちゃうと思うので、
自分にとって良いものを適量脳みそに入れていくようにしないとなと思ったのです。そして、インプット以上にアウトプットをしていくことを強く意識する必要がある時代だなと思っています。

最近のそんな自分のパートナーとして、生成AIが良い感じの相棒になるかもしれないなと思っています。問いを発すれば、程よい広さを持って適度に教えてくれるので、そこを起点に自ら深く探求していけばいいので、非常に楽です。生成AIに全てを委ねるのはそれはそれで思考停止していきそうですが、思考のパートナー、何かする上でのパートナーとして使うのは、ありだなあというのが最近の評価です。
※昔の検索エンジンや、SNSも最初はそんな感じだったような気がしているのですが、いつからか不純物が混じってしまったのか、あまりそういうパートナーではなくなってしまったのかなと思っています。(ノイズが多くなってしまった。)

要するに、あくまでツールや技術は手段なので、それを使う側の問題だなっということですので、使う側自身をアップデート、アップグレードしていこうと改めて思った、そんな日でした。
なので、インプットは能動的に行い、量は絞る。アウトプットも能動的に行い、量は増やしていく。そんな日々を送っていければなと思っています。

ではでは

by コーチのくまごろう

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