見出し画像

"Pragmatism"の名言とAI

"By far the most usual way of handling phenomena so novel that they would make for a serious rearrangement of our preconceptions is to ignore them altogether, or to abuse those who bear witness to them,"

我々の先入観を大きく塗り替えるような新しい現象に対処する最も一般的な方法は、それらを完全に無視するか、それらを証言する人々を罵倒することである。

Wm. James, "Pragmatism," 1907.

ウィリアム•ジェイムズの、この名言は、生成AIが急速に発展し、社会に大きな影響を与えつつある現在の状況に当てはまります。

最近、私が生成AIの描くアートに関する議論をした中で、論点になったのは
•生成AIは学習過程においてアートを盗んでいるか
•なぜ人々はAIの描いた絵を嫌うのか
•サンプリングと生成AIの違い(著作権法)
などでした。

そして、AIは、学習元から同意を得ていないデータを使っているという批判について、私は少し踏み込んで考えました。
GAFA(Google,Apple,Meta,Amazon)のデータ利用の問題と構造が似ていると思ったからです。

しかしながらGoogleは、顧客の同意を得て顧客データを利用している。
生成AIとはその点が異なる… かと思いきや

ちょうど4/2、Googleが顧客データ利用に関する裁判で負けているというニュースが出ていました。


さらに、GAFAの不公平なデータ活用、公正な競争を害すること(=GAFAの倫理的問題)に関するニュースは定期的に話題になっています。

私はこうした観点から、
GAFAの倫理観に対して無批判だけど、
生成AIの倫理観に対して批判的な人の思考について思いを馳せていました。

そして、冒頭の、プラグマティズム(1907)の言及が脳裏に浮かびました。

"我々の先入観を大きく塗り替えるような新しい現象に対処する最も一般的な方法は、それらを完全に無視するか、それらを証言する人々を罵倒することである。"

さて、生成AIは、私たちが思考し、コミュニケーションを取り、情報を処理する方法を根本的に変える可能性を秘めています。
AIが作成したテキスト、画像、音楽などは、人間の創造性の概念に挑戦し、「芸術とは何か」「知性とは何か」といった根本的な問いを投げかけています。

しかし、ジェイムズが指摘するように、多くの人々は、このような革新的な技術を無視したり、拒絶したりする傾向があります。
AIに対する漠然とした不安や懸念から、AIの可能性を真剣に考えることを避ける人もいれば、AIを脅威と見なし、AIの開発や利用を批判する人もいます。

ジェイムズの洞察は、私たちがAIについてオープンな考え方を持つことの重要性を示唆しています。
私たちはAIがもたらす変化を無視するのではなく、その影響を慎重に見極める必要があります。

また、生成AIは「創造性」「知性」「芸術」といった概念について、私たちの先入観を問い直す機会を与えてくれます。
人間の独占的領分と考えられてきたこれらの概念が、AIによって再定義される可能性があるのです。

ジェイムズの名言は、私たちが、ポスト生成AIの時代をどう生きるべきかについての示唆を与えてくれます。

AIがもたらす変化から目を背けるのではなく、
既存の概念や価値観に縛られることでもなく、
あらゆる可能性を探求すること。

そして、AIが投げかける問いを通じて、人間の創造性や知性の本質について考えを深めること。

これらが、ポスト生成AIの時代を生きる私たちに求められる姿勢ではないでしょうか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?