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2人でつくった「ルール」がもたらしたすれ違いと、そこから見えた「わたしたちの道」(2023年9月)

全く違う二人の人間が、あえて1つの「家族」を作るということ。
そこに、新しい命が生まれるということ。

こんなにも面倒で、こんなにも奇跡的なことを、私たちはやってのける。「家族」という営みは、「愛」というあまりにも不確かで、複雑な土台の上に、今日も、どこかで続いている。

そんな「家族」という営みの中にある「とても個人的で、だけど、とても大切な何か」を対話を通して、文字で残す取り組みをはじめました。

フォーカスするのは、やまさん、まぁさんご夫婦の「今」。

この対話では、「ありのままの状況を話す」というルールの上、うまくいかないことも、答えの出ないことも、夫婦のリアルとして残していきます。

初回となる今回は、猛暑が落ち着き、秋の空気が漂う9月下旬。オンラインの画面に映るお二人はやや表情が固く感じました。

やまさんから「ちょうど今、あまりうまくいっていない時間になっている」と切り出してくださいました。


コミュニケーション量を減らして、相手のことを考えない時間を作る(やまさん)

2、3日前からコミュニケーションを減らしているというか、今後も含め、どうしようかという状態になっています。こういった状況は初めてではなく、夫婦の間でこれまでも結構起きてきたことではあるんです。

私の気持ちとしては、「夫婦それぞれの考え方がある」というところをどのくらいすり合わせていけるのかという点において、自分では工夫していると思うのですが、限界を感じて、疲れてしまったという感じです。

今は、まぁさんとのコミュニケーションを最小限にして、自分の中にこもっているような感じです。

以前から、夫婦関係がうまくいかない時には、私は塞ぎ込むような傾向がありますね。

今朝も朝ご飯を作ったり、洗濯やゴミ捨てなど、本来は僕の役割であることをすべて考えないようにして、まぁさんに丸投げしてしまいました。

この4月から娘が保育園に入ったこともあり、当初は2日交代制などで家事育児をしていましたが、最近は家事は私で、育児はまぁさんという分担がはっきり分かれていました。

とはいえ、もちろん想定通りに進まないこともあるので、「これあとでやっておくね」とか「ちょっとしんどいからやってほしい」など、それぞれが声を掛け合ってサポートしていました。

ですが、今朝は上記のとおりひとまず考えないようにしたので、もちろんそういった声かけもしなかったんですね。

そうしたところ、まぁさんはもちろん大変だと思いますが、「何も考えなくていい」という状態はやはり「楽だな」と感じましたね。

「相手に言われないように」という意識を手放す(やまさん)

私自身は、生活や家事について「こうした方がいい」という軸やこだわりは、あまり持ち合わせていない方だと思っています。

ですが、まぁさんはおそらく「こうしたい」というものを持っているんですね。

例えば、食器を洗うタイミングに関して、私はいつでもいいと思っていますが、まぁさんは残っているのが気になるタイプだと認識しています。これに関しては実際に言われたこともありますが、どのくらいの時間でやっておいた方がいいというのは、想像の部分でもあります。

これはあくまで1つの事例ですが、こうした「まぁさんがこう思うんじゃないか」ということに関して「まぁさんに言われないように」と意識して行動していることが多いんです。

その意識を手放して、「どう思われてもいいや」という状態を作ることで、かなり自分が楽になれました。

「なんで」「どうして」のサイクルから抜け出せた4日間(まぁさん)

先週の日曜日から、やまさんが言うように塞ぎ込むような様子がみられました。

この対話の時間まで、ずっと話をしていないような状態だったので、今この対話を通じて「そうだったんだ」という感覚です。

ですが、そうなってしまった要因については、私自身あまりよくわかっていないというのが正直なところです。「あのことなのかな」「このことなのかな」と色々想像しながらこの4日間過ごしていました。

少し話が変わりますが、私は昔から「この時までにこれをしなきゃいけない」「こうなっててほしい」というのがすごく強かったんです。

今ももしかしたら、やまさんから見るとそういった部分はあるように映るかもしれませんが、自分としてはだいぶ減ってきたと思っています。

当時は、やまさんがこもっていたら、「なんで」「どうして」という気持ちも強く、それを口に出して問い詰めてしまう節もありました。相手のことを知ろうと必死になっていたのかなと思います。

そこから、カウンセリングを受けたり、自分の中でも色々頑張って変化した部分は大きくて、今回に関しては、自然とそういった自分を出さずに4日間過ごせたんです。

あまりやまさんに近づかないようにして、家事も最低限自分の困ることはやりますが、それ以外のことは後回しでいいか、と思えたり、こもっているやまさんに対して「もういいや」と放置できるようにもなりました。

自分の中で「どうして」という気持ちが浮かんだとしても「そういう風に今自分は感じてるんだな」と思うくらいに止めて、それ以上のことは考えないようにしました。


うまくいかなくなった要因について認識しているやまさんと、「よくわからない」と話すまぁさん。二人の間にかなり視点の差があるように感じられました。

どのようにして認識にズレが生じてしまったのか、やまさんにさらに背景をお聞きしました。


ルールが2回も守られなかったことで、自分の気持ちがコントロールできなくなった(やまさん)

特にこの4月ぐらいから、お互いに「こういう時はこうしようね」というルールをいくつか作ってきたんですけどそれらが達成されなかった出来事が2つ続いたんです。

まぁさんが先週体調が悪かったのですが、土日だったので娘の保育園もお休みだったんですね。

家事は私が担当なのでもちろんしていたんですが、まぁさんが横になっている時間もあるので、娘の相手もしなければいけない状態になって。それだけならまだしも、自分でやっておきたかった仕事もあったので、余裕がなくなっていたんです。

そこで、同じマンションに住む、私の父と母のところに娘を連れて行ってくるという話をまぁさんにしました。誰かの目がある状態で仕事ができたら私としても楽だと思ったからです。

すると、まぁさんから「それはしなくていい」ということを言われました。

娘が保育園に入ってからは娘と過ごす時間が減っていることもあって、土日は一緒に過ごしてあげたいという想いがあることは以前まぁさんからも聞いていました。

ですが、それを前提として、どちらかがしんどい時はしっかり祖父母を頼ろうということになっていたはずなんです。私の父と母ということもあり、まぁさんなりに距離感があるのは当然だとは思うので、べったりというよりは、うまく活用しようという話でした。

その前提で、朝に提案した際に一度断られたので、育児担当のまぁさんが大丈夫なら、と思っていたのですが、その後またまぁさんが横になる時間が出てきたり、眠りたい、マッサージしてほしいという要望も出てきたんです。

一通り対応したのですが、やはり難しいと判断して再度、両親の元に連れていく話をしたのですが、やはり2回目も断られてしまいました。

さすがに、これまでに話してきたこととも違いますし、私自身の状態のことはあまり考慮されてないように強く感じてしまって、自分自身がコントロールできなくなりました。

提案ではなく「強制」に感じられた(まぁさん)

その日のことは確かに覚えています。その時、義実家にいくことに関して、相談を受けたと言うより、強制的に行くことを決められたという風に感じていました。そしてそれがしっくりこなかったんです。

でも、その背景に「仕事をしたかった」というのがあったことは、全然わからなかったです。確かその日は、前日から「日曜日何する?」「どこ行く?」という話をしたこともあってよりそう思ってしまっていました。

一方で、たしかにやまさんの言うように、土日はしっかり娘と一緒にいたいという気持ちはもちろんあって、正直、今は連れて行かないで欲しいという気持ちがあったのも事実です。

体調が悪かったこともあって、義実家に連れて行くことに対して、すごくネガティブに思ってしまったのはありますし、それが表情に出てしまった部分もあって嫌な思いをしたのかなとも思います。

私の中でも、娘を預ける基準がその時々の感覚によって違うんですね。

娘の状態はもちろん、娘との関係がうまくいっているから預けなくても大丈夫、という時や、逆に関係が難しいからそれを加味して預けたい、だったりです。
ですので、一定の条件や基準を設けることが難しいというのが本音です。

否定された時期を経て、以前決めたルールがあった(やまさん)

まぁさんの話の中で、「強制的な雰囲気」というのがあったと思うんですが、これまでの関係性の中で、相談をすると否定されてしまった時期があったんです。

そこで、私からは提案ではなく、「こうするよ」と決めてから言うことになったと私は思っていました。

そういったシーンでは、状況や背景を全部話そうとすると非常に複雑になりますし、「これはどうなの?」「あれはどうなの?」となるよりはどちらかが「こうするよ」というところまでいったら、それは受け止めましょうという話でした。

ですので、今回は相談ではなく、上記のルールにのっとって、決定事項として伝え、それは肯定するという話だと思っていたんです。

ここまでの話で、もうその時点でズレていたのかという気持ちです。


以前決めた二人のルール。
このルールの存在の認識に差があったことが、今回のうまくいかない状況を作り出してしまったようです。
ルールに関して、まぁさんはどのように捉えていたのか、再度お聞きしました。


ルールを忘れてしまったり、自分の気持ちが抑えられない瞬間がある(まぁさん)

ルールの話に関しては、今言われて「そうだった」と思い出しました。

私たちはルールを決めることが多々あるので、これまでも、どうしても忘れてしまうことがあって、後から聞いて「そうだった」と思い出されるんです。

今も「だからああいう言い方だったのか」と納得がいきました。

ですが、そこに関して(ルールの存在を忘れて)自分の気持ちを出してしまったり、抑えられない部分があるというのも事実だなと感じています。

思い出してもらえなかった悔しさと、そこから見出す、私たちの折り合いがつく道(やまさん)

(決めたルールに関してすぐ思い出せなかったというのは)やはりそうだったんだという感じです。

私は覚えていた側で、まぁさんは思い出せなかった側。

とはいえ、私がその場で「こういうことになってたじゃん」と指摘するにしても、きつい言い方や追い詰める言い方しか私からは出てきそうになかったんです。

このことについては、私自身、頭の中で何時間も考えていましたが、やはり想像の中の自分がずっと怒っていて、論破しよう、論理的に勝とうとする様子しかなかったですね。でも、そうしたいわけじゃないですし。

思い出してもらえなかったという悔しさもありますし、「ああ言った」「こう言った」という議論もしたくないので、コミュニケーションを断つ、ことしかないと思ったんです。

とはいえ、以前のまぁさんだったら、何時間と経たず、塞ぎ込んでいる私に「なんで」と聞いてきていたとは思うんです。

でも、そこからいろんな変化があって、まぁさんが待ってくれるようになったので、悔しさはもちろんありますが、4日間という長い時間を空っぽにしてもいい状態にできているので、それは今の私たちの道なのかなとは思いますね。

苦しさを感じずに自然に過ごせた4日間(まぁさん)

数年前までは「なんで?」「どうして?」とこもっているやまさんに対してさらに問い詰めるようなことをしていたと思うと、今回4日間気にせずにいられたのは、よかったです。

もちろんそれは娘がいたから、という要因もあるかもしれません。

とはいうものの、今までは、「取り残された感」や「どうしたらいいの?」という様々な気持ちがあって、さみしいし、苦しいし、という感情がすごく多かったのですが、今回は自然に、楽にいられました。

そしてこの4日間に対して、「(4日間の期間が)あってよかった」とやまさんが言ってくれたのはよかったです。


ここまでの対話の中で、「まぁさんが、こもっているやまさんに干渉せずに過ごせた4日間」についてお二人共通で「よかった」とポジティブな認識をしていることがわかりました。
最後に、お二人それぞれに、この対話を終えた率直な今のお気持ちをお聞きしました。


やまさん

一旦、この4日間については聞けたので、自分なりに持ち帰ろうと思います。

今改めて思うのは、まぁさん自身も言うように、「何度もルールを破ってしまっている」という点に関して、もちろん悔しさはありますが、一方で、4日間、それほど苦しくなく待てたということがわかったのは大きいですね。

以前は「何時間待てばいいのか」と問われることもあったので、そう思うとすごく変化した部分なんだと感じます。

毎回4日間このような状態になっていいわけではないですが、こういう時間を取ることでの逃げ道があるということがわかってよかった

そしてこのやり方が良いかどうかはわかりませんが、少なくとも、この家族でやっていく上で、まぁさんが変化して合わせてくれた部分なんだなと思いました。

まぁさん

正直、また同じことができるかどうかと言われると不安もあります。

今回のように自然に楽なかたちで過ごせるのか、本当にわからないというのが正直な気持ちです。うまく自分の気持ちをコントロールできれば、頑張り次第でできなくはないという感覚です。

そしてこの後、この対話が終わった後にどうやまさんと接したらいいのかが分からない、というのは今大きいのかもしれないです。

でも、私も同じく、持ち帰ってもう一度考えてみたいと思います。


相手のことをもっと知りたいからうまれる「なんで?」という問い。
相手にきつい言い方をしたくないからこそうまれた、「コミュニケーションを取らない」という選択。

二人の関係性をスムーズにしたいからうまれた「ルール」。
そんな「ルール」ゆえに生まれてしまった「認識のズレ」。

運命的な確率で出会った二人でも、相手を思い合う二人でも、すれ違いはうまれるし、「うまくいかない日」だってある。

だけど、きっと、そんな日々を幾度となく繰り返しながらも、その日々こそが、二人の「家族」としての輪郭をより確かなものにしていく。

家族のはじまりも、終わりも、その形も、正解がないこの世界で、やまさんとまあさんはどんな家族の輪郭を残していくのだろう。


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