[日記]2021年3月16日(火)
自宅に篭って仕事をしていると、視野の狭窄に気付くことがある。自らが認識している視界の狭間で生じている事象に時差を、或いは歪みを感じる。時には風の音さえも遅れて鼓膜へ届くかのようで、時間は今日も追い越されて過ぎ去るようである。
仕事終わりに本屋に駆け込もうと試みるも、時間に拘束され行くことが叶わない。不貞腐れたようにカップヌードルを食べ、ベッドに倒れ込み疲労を癒す振りをしている。傍らの『青天有月』(松浦寿輝著 思潮社)は栞が挟まれたまま、枕元に鎮座しており、伸ばしかける手も虚しく寝穢く眠りにつくかのようである。遂行すべき事項は手元に残ったままではあるが、閉めたカーテンから月光が漏れることのない夜が諮らずも進み続けている様相を想像したまま、朝を迎えることになると考える。
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