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[日記]2020年4月28日(火)

 今日の夜は、友人とオンライン読書会を行う。題材は「マジックミラー」(千葉雅也著 ことばと vol.1収録 書肆侃侃房)だ。一〇ページほどの短編である。仕事を始めるまでに読む。短いがモチーフとして語ることのできそうな断片が、多く散りばめられている印象を受けた。また、現在の時間軸と過去の時間軸とがシームレスにつながる場面の多さが気になった。あとは、「マジックミラー」という題名と視線の問題。この辺りをテーマとして据えれば、話すことはできそうだという確信を得ることができた。久しぶりに朝から良い読書体験ができた。このまま始業時間を迎える。

 仕事は問い合わせが多く、なかなか自分の仕事ができない。休日の前の日は、どうにか仕事を早く終わらせ休日の前に日の夜を楽しみたい。緊急事態宣言前は、バーに行ったり本屋に寄って一時間も二時間も思考の赴くままにさまよっていた。今なら、部屋を間接照明だけにしてウイスキーでも飲みながら本を読みたい。さらに今晩は、オンライン読書会の予定があるのだ。問い合わせに答えつつも、自分の仕事を進める。一体いくつ進めるべきことがあるのか、数えたくなくなるほどに多い。それらを並行しながら進める。むしろ止まってしまったら、何をしているか分からなくなりそうだ。とはいえ、いつまでもこの状態が続いて良いわけではない。思考は複雑に様々なことを考えながら、仕事を終わらせる。いや、今日は終わらせるというより区切りをつけた。勢いよくパソコンを閉じる。頭の中の熱が上がっている。熱を沈めるために牛乳を飲み、ビールを持ってオンライン読書会に合流する。

 オンライン読書会は非常に充実した時間であった。主人公の葛藤について、自分であることの実存について、闇とは一体何か、この小説におけるマジックミラーの意味、さらにはギャル男とは何かまで、多くのディティールを組み合わせた上で、作品を読み解いていくことに努めた。どの話も興味深く聞き入ることも多かった。マジックミラーのような趣向の小説は、主人公の自意識が作品全体の雰囲気を形成することが良くも悪くもあるが、この小説においてはあくまでエッセンスのひとつ、もちろん主題となり得る大きな要素ではあるが、それだけが全面的に押し出された書き方ではなかったので、読み手が解釈を加えやすかったのではないか。他人の意見を聞くことは楽しい。解釈がいくつも膨らんでいく。次回も開催することを約束し、本日のオンライン読書会を終えた。読書会が終えてみて、久々に小説を読み”切った“気がする。これは完全に理解したということではなく、自分に強く引き寄せて、もう一度作品として昇華した感じである。「作品として昇華させた」と書くと非常に烏滸がましいのではあるが、この表現が最もしっくりとくる。読み手によって作品の意味は変容する。その意味をどのように理解するかが解釈の意味なのである。このように考えられたのも、もちろん「マジックミラー」のような作品があったからのことである。「マジックミラー」のような、という感覚を言い換えるのであれば、「余地がある作品」ということだろう。読み手の解釈をいくつも加えることができる。解釈を加えるとひとつの作品として昇華できるが、元々の純然たる作品としては、変わらずそこに存在している。作品の強靭さというべきか。そのような作品にこれからも出会っていきたいと思ったし、自分でも何かしたいと改めて思った。まずは日記を書いて、白紙の紙面と自分の脳内をシームレスにつなげたい。考える言葉、発した言葉、書き出した言葉をひとつの線でつなげたいと思った。

 「つなげる」。このモチーフは明らかに、今日の読書会の余韻から引っ張り出してきた言葉だ。「あの朝の一時と、いまの一時が定規で引いた線でつながる。その間にあるはずのデコボコは全然知らないし、たぶんこれからどうなるかを追いもしない。」(マジックミラー 千葉雅也著 ことばと vol.1 p17 L1~L3 書肆侃侃房)気に入った一節だ。過去も現在も現在もあるが、必要なのは「今」だ。しかし、それらをつなげることのできる線は、確固たるものとして存在する。そのような含みが言葉の面白さである。

 部屋と台所を片付け、シャワーを浴びる。このような生活が続くと、シャワーを浴びることが生活の区切りのひとつとなる。ひと続きの線を意識するよりも、区切りをつけてつなげる。今日は、区切りや、つなげるや、実存や、自意識などという言葉を多く使った日であった。

 明日は天気が良いらしい。外に出られなくても、天気が良いことが分かると嬉しい気持ちになる。暖かくなり服を一枚羽織らなくても過ごせるように、身体は身軽になって生活をしたい。

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