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[日記]2020年11月24日(火)

 祖母の葬式に参列する。朝早くに車で斎場へ向かう。斎場の近くの橋を渡る時に、正面から照らす朝陽が眩しい。昨夜の月が燃え尽きないうちに、行く道を太陽が照らしている。光に目が眩む一瞬で違う世界に辿り着いたようだ。

 朝の斎場は清冽とした空気に包まれていて、肌に突き刺すような痺れを感じる。待機していると徐々に親戚が斎場へやって来て、密やかな声で話しながら定刻を待っている。空気の清冽さは薄れ、厳かな雰囲気がこの場を満たしてゆく。

 やがて読経が始まり、焼香を執り行う。焼香は仏が住む浄土の香りを含んだそよ風が漂う様を目の当たりにするためのものであるようだ。そう思うと、目の前に広がっているのは、仏の世界なのであろうか。現実の世界で浄土が立ち現れるのであれば、ここはどこなのだろう。もしかしたら、現在のこの場所は「狭間」であるのかもしれない。今朝、光に目が眩んだ意味をこうして言葉にしようとする。

 焼香が一通り終わり、祖母に花を手向ける。棺の中を花で飾り付ける。鼻腔まで漂ってくる生花の香りが、やけに生々しく残る。香りを嗅いだまま、祖母の左足に花を乗せる。そして、棺の中で眠っている祖母の頬に触れる。弾力はあるものの、身体とは思えないほど冷たい。死に触れたと想った。間違いなく触れた。お互いの皮膜を通して、死を最も近くに感じた刹那であった。冷たさは指先に鈍く残った。今でも指先に冷たさは宿っている。冷たさは、祖母が確かにいたことを幾度となく思い出させる。それは祖母が残したあたたかな冷たさなのかもしれない。

 斎場を出て火葬場に途中、強い陽射しがまた僕らを包む。澄んだ空気を伝って太陽の光が真っ直ぐに届く。そして、橙色に燦として煌めく。

 ゆるゆるとした坂道を上り、火葬場へ辿り着く。ただ白い建物がそこにあるばかりである。小さな殺風景な部屋に通され、もう一度祖母の顔を見る。とても穏やかで、時間が止まっているようだ。それでも、時間は否応なく時を進ませる。殺風景な部屋を出て、火葬炉へ進む。私は火葬炉へ近づくことができず、手前の手摺りの前でただ見守るしかない。何か巨大なものが動く音がして、祖母の棺が火葬炉へ入ってゆく。その一瞬だけ時が止まったように感じられる。あの扉の先には世界が広がっているのだろうか。その思いを遮断するように、重い扉が閉められる。先ほど皮膜を通して感じた世界が、ここで永遠に分けられる。閉められた扉の音が頭の中で鈍く鳴り続けるうちに、扉の向こうから音が聞こえる。その音を聞いたまま控室へ向かう。

 一時間弱ほど経っただろうか。骨上げを行うために収骨室へ入る。簡易的なカーテンが引かれ、大きな銀色の台車のようなもので祖母の骨が運ばれてくる。はじめはそこに骨があるとはどうしても思えなかった。ただそこに骨があることが信じられなかっただけかもしれない。しばらく目を向けていると、ようやく目の奥で像が焦点を結び始める。喪主から骨上げを行い、自分に順番が回ってくる。右膝の骨を拾う。驚くほど軽い、軽いが、その時“軽さ”は感じられなかった。指先から伝わってくるのは、先ほどとは異なった”熱さ”である。できるだけゆっくりと骨壷に骨を入れる。ここに納められるのは”熱さ”といくつかの意味だ。その意味を今日初めて知る。

 骨壷に納められた祖母の骨とともに、告別式のためにもう一度斎場へ戻る。帰りしなに火葬場を振り返ると、相変わらず白いままそこに建っているだけである。しかし、訪れた時と変わっているのは、火葬炉があると思われる屋根の上で、空気が熱で歪んでいる様子を認めたことである。煙はない。青空に煙は棚引いてはいないが、火葬炉の熱がそこに漂っている。その時、空気に融け出していると感じる。はっきりと明瞭にその様子を見たのである。

 その光景を瞼に焼き付けたまま、車で火葬場を後にする。振り返らず斎場へ向かうことにする。決して振り返らずにだ。

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