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[日記]2020年12月28日(月)

 文喫 六本木へ赴く。初めて足を踏み入れたが、本の並びが興味深く、舐めるように見てしまう。とある本からある本へ、思想はバルト、ドゥルーズからデリダへ、途中にウンベルト・エーコを挟みながら展開されてゆく。思索のひとつの線を手繰り寄せるように、本は展開されてゆく。海外文学の棚の前で立ち止まりながら物語を紐解いていこうと考えていると、自然と言語学、記号論の本に手が伸びる。『文体の科学』(ジョルジュ・モリニエ著 白水社)、そして、bookwordrobeの清水さんに薦めていただいた『完全言語の探求』(ウンベルト・エーコ著 平凡社ライブラリー)、『考える/分類する―日常生活の社会学』(ジョルジュ・ペレック著 法政大学出版局)等が腕に積まれてゆく。今日は、言語に関して非常に敏感になっているようである。物語が進んでゆくよりも更に粒度を細かく、言語という単位で考えた時に物語がどのように進んでゆくのか。あるいは、話す言葉ひとつひとつや、事象を感じ取る際に発せられる言葉ひとつひとつを、より詳らかにしたかったのかもしれない。喫茶スペースで読んだ考える/分類する―日常生活の社会学』には、「仕事机の上にあるいろいろな物についてのノート」と題された話が収録されており、仕事机の上にあるものを片端から挙げ連ねている。その羅列ですら、書くこと、或いは、読まれることで物語となり得る。そして、「書く」「読む」といった言葉が、適切であるかどうかが、あやふやになってくるのである。言語が目の前から韜晦してゆく様を、私は見守るしかできないのであろうか。そのようなことを考えながら、文喫の中を彷徨っている。

 文喫ではbookwordrobeの受注試着会も行われており、『モモ』のジャケットを着ながら、思索に耽っていた。着ている服が変わると、自分が何者でもないかのように思われ、それはそれで心地良くもある。言語の韜晦に塗れながら、自らも韜晦してゆくような感覚は気持ち良さを伴う。

 文喫の後は、BrewDog Roppongiを訪れ、ひたすらにIPAを飲む。六本木の裏路地に佇む店の中で、普段飲まないような味のビールばかりを頼み、気持ち良く酔いを体内へ循環させる。

 帰路、新宿の某古本屋に寄り、同じく棚を橋から端まで眺める。文喫で体験したような韜晦は起こらず、ただただ文喫の並びを再度堪能して再び帰路に着く。文喫はまた時間を見つけて訪れて、自らの思考の堰を切って佇んでいたい。

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