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[日記]2020年5月20日(水)

 昼間は根を詰めて仕事をした。今日できることは今日、明日できることは明日。今日ばかりは明瞭な線を引く。

 仕事をなんとか切り上げて、オンライン読書会を実施した。「アキちゃん」(三木三奈/文學界 二〇二〇年五月号)を題材とした読書会。小説内に出てくるキャラクターの在り方であったり、シングルマザーや女子大などのジェンダー性でまとめられたエレメント、そして、終盤で明かされる真実について。読みの深さというよりは多様性に力点を置いて話がなされた会であるように思う。※ここから先、終盤で明かされる真実が分かってしまう書き方をします。

 アキちゃんの兄は、アキちゃんの男性性が顕在化した存在ではないか。主人公であるミッカーは、アキちゃんの兄を監視したり、嫌がらせのように弄んだりすることで、間接的にアキちゃんの男性性に攻撃を加えている。その方法は非常に卑劣であり、残酷である。アキちゃんが最も隠していたかった男性性と表裏一体の存在である兄を顕在化させることによって、敢えてアキちゃんの男性性を際立たせている。こんなにもいやらしい描き方はないと思う。また、アキちゃんの好きな人を、私=ミッカーであると確認することが、非常に恐ろしいと思った。これは明確にアキちゃんを男性性に属している人間という枠組みで捉えることが、「取り返しのつかないカルマを犯してしまったのではないか」と思うこと、すなわち、トランスジェンダーという属性を持った「個」としてのアキちゃんが「悪いカルマ」を背負っていると思い込むことである。ミッカー自身は、自分自身の「行為」や「行動」に対してカルマの善悪を判断しているのであるが、アキちゃんに対しては生まれ持った「個」にカルマを認識している。そのような性質の人間の「個」に対し、小学生という純粋さに肯定的な視点を通して、業を背負っていることが良くないと思うことが、非常に残酷で恐ろしいと感じた所以である。

 自分が読んだ時は前述のように思ったが、学校という場面設定の中で、教育学的視点で解釈する読みもあったりと、なかなか興味深い意見が出た。時間が許せば、読み返したり考え直したい作品であった。

 週の真ん中であるということをしばし忘れ、三時間ほど読書会に熱中してしまった。週の後半には、まだ手が届くくらい。残り二日が長く感じる。じっと堪えて仕事をこなす。

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