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[日記]2021年3月23日(火)

 実行すべきことが蓄積されてゆき、理路整然とした論理を構築できない時ほど、重みは伸し掛かるように躙り寄ってくる。漸近線は限りなく近づくが決して交わることはなく、二点が最も離れる場所を最終地点として選択する。目を閉じて浮かべるのは、x軸とy軸を自由闊達に動き回る点であり、せせこましく動く日々の移ろいなのかもしれない。

 友人の文章が掲載されている『&Premium 2021年04月号』(マガジンハウス)を購入し、ベッドにて読み耽る。言葉の持つ力を信じてはいるが、自らにとって言葉の力とは何かを繰り返し問う。表現し得るべき事象を言葉の綾によって準えることは、「言葉遊び」ではないのか。否、砂浜に打ち寄せる波と戯れるような細やかな瞬間ではなく、全身が何者かによって攪拌されゆくような身悶えを望んでいるのではないだろうか。此処まで書いて「波の花」を思い浮かべる。溶解性有機物質を多く含んだ海水が攪拌されることによって、分解されにくい泡となる。この泡が消波ブロック等に衝突して「波の花」となるようである。溶け残る「波の花」は誰かの想念が具現化され、何時までも此の世に残り続ける。その想念は「遊び」ではなく、誰かに辿り着くまで彷徨い続けるであろう。

 漸近線は決して交わらない。すぐ隣を漂う直線とは行き着く場所は異なるであろう。私の思考も漸近線と同様に正解に達しないのかもしれない。

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