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初めてトリリンガルの人を見た時の驚き

マガンダン ガビ!

日本で住んでいると日本語だけで生活できることがほとんどだけど、アジアやインドなど、ビジネスのためには、英語が必須という国もあるんだということは、ヒッポファミリークラブに入って、いろんな国の人をホームステイで受け入れ、色んな話を聞いて、実感を持つことができた。

ホームステイの受け入れをして、ゲストとは、やはり一番通じ合えることばを話すことに落ち着く。日本語が流暢な人なら日本語、英語の方がお互いの意思を伝え合えるなら英語という具合に。そのうえで、相手の母語も教えてもらったり、日本が話せなくても相手が興味あるなら、日本語を少し紹介したり。

そんな感じで、次男の出産でお休み期間もあったが、幼稚園児と赤ちゃんのいる家庭でも、色んな国の人との交流を楽しんでいた。

そうしてヒッポを始めて4年が経ち、13番目のゲストはフィリピンの大学生だった。

その時、近所にヒッポメンバーでフィリピン人のお母さんがいたので、家に来てもらって、一緒におしゃべりした。

2人とも、タガログ語、英語、日本語が話せる。

何語で話すんだろうと思っていたら、日本での生活について、日本語で話し始めた。そして、出身地の話になると、自然にタガログ語に変わっていた。それだけでも、すごいなぁと思ったけれど、大学の専攻の話になったら、英語に変わる。そしてまた日本語に戻ったり・・・

今から20年くらい前の話だが、その頃フィリピンでは、大学の授業は全て英語で行われていたそうで、専攻の話は英語が一番話しやすいというのも、よく分かる。

それまで、私にとって、何カ国語も話せる人のイメージは、相手によって一番通じ合える言語に変えて話すことができるというものだった。

だから、同じフィリピン人同士で話していても、自分たちの一番話しやすい言語に自然に変わっていく様子を見て、本当に本当に驚いた。これが多言語人間なんだなぁとも思った。そしてある意味合理的で楽チンだろうなと思った。

何語で話しても受け止め合える、自分の話したいことばで話すことができる場は、とても人間らしくのびのびとした場なんじゃないかなと思った。そんな場を作っていきたいなぁ。

ある言語を話していると、変な目で見られるとか、この言語は話しちゃダメっていう世界は、窮屈で生き辛い。ことばを奪われることは、尊厳を奪われる事だと思う。

ことばは、その人の価値観や文化的背景も表している。人間にとってことばは、無くてはならない存在だ。

相手のことばを尊重して、相手のことも尊重でき、もちろん自分の言いたいことも、ちゃんとことばにできる人に育っていきたいな。もう、ずいぶんいい年ではあるんだけど 笑

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