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写真がこわい

私が写真を撮るという行為には、目的があるものとないものがある。残したいと思って撮る時、撮るだけで幸せな気分になれる時、何か伝えたいものがある時、使命を感じる時、誰かを誘う口実、シャッターを押したいだけの時。本当に色々。

シャッターの重さはどれも変わらない気がするけど、強く残したいと願うものを撮る時の重はさちょっとちがうのかもしれない。

強く残したいと願うものを撮る時、悲しみや残酷さとも向き合わないといけないって思う。

それは、何かの終わりや別れを考えてしまうから。その瞬間を迎えた時に、写真を撮っててよかった、てなる時と、写真なんて撮らなければよかったてなる時がある。それを知ってしまったから。

だから私は残そうと思って写真を撮るのがちょっとこわい。

それでもきっと、写真を撮って生きていくのは、写真が救いであって、全てじゃないことも知っているから。

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